2011年 05月 20日
スーニオンのポセイドン神殿 |
Ναός του Ποσειδώνος στο Σούνιο
Temple of Poseidon at Sounion
スーニオン岬でポセイドン海神が信仰され始めたのは紀元前6世紀のアルカイック時代からで、その形跡は遺跡の一部や出土品からそ見受けられます。
紀元前480年の第2次ペルシア戦争によって、この神殿が破壊され、奉納品などは強奪されてしまいました。
その後、アテネ僭主ペレクレスが、紀元前444年から紀元前440年の間に、総大理石のドーリス神殿を建設しました。
2世紀の旅行家パウサニス(115年頃 - 180年頃)がこの地を訪問したときは神殿は土台だけになっていました。そしてパウサニアスはこの神殿をアテナ神殿と勘違いしていました。
ポセイドン神殿から少しはなれたところにアテナ神殿の遺跡を見ることができます。

19世紀以降に発掘と修復工事で、現在のような姿になっています。
19世紀に発掘が始まる前に多くの訪問者たちが来ていたようで、大理石の柱や土台などに自分の名前と訪問した年月日を掘り込んでいった人たちが多いです。そのなかにイギリスの大詩人バイロン卿もいます。しかしながらわたくしはバイロン卿の書いたものを見つけることができませんでした。

神殿北

神殿南東

神殿南西

神殿北西

前門は神殿の北側にあり、柱廊の隣にあり、ロープでその場所は囲ってあります。
そのロープの囲ってあるところを通過して古代の巡礼者たちはやってきたのです。

大理石の入口

大理石に入口の土台のスロープ面に1901年12月29日に来たピエリス・プサラス・ザハロという人物がここに名前と年月日を刻んでいったようです。現在これをやったら逮捕になり、モラル的どういう人?ということになってしまいそうですが、1900年あたりは修復前で、円柱や壁などゴロゴロして伊熱田ので、来た人たちは好き勝手に文字を刻んでいったのでしょう。

東から西を撮影

古代のポセイドン神殿への巡礼者たちは屋根のついた柱廊で、休んだり、おしゃべりしたりしていたのでしょう。
西から東を撮影

堡塁外側

堡塁とは、敵の攻撃を防ぐために、石・土砂・コンクリートなどで構築された陣地のことだと、
そのようにウィペディアにありました。堡塁、、、こういう日本語があったんですねぇ。
堡塁の内側このような感じです。

この石積みを見ると凝灰岩のようにわたくしは思いました。

古代は神殿の周囲は城塞が張り巡らされいており、間隔をとって見張り塔がいくつかありました。
この塔の中に番兵がいて、外敵や海賊などの侵入を食い止める役割を果たしていました。
ポセイドン神殿を中心とする遺跡のプラン

ポセイドン神殿遺跡の入口からアテナ神殿を撮影しました。
駐車場の向こうの小高い丘の上にアテナ神殿の基礎部分が見えます。


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by lemonodasos
| 2011-05-20 19:32
| アッティカ
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