2007年 04月 15日
スパルタ王レオニダス像3体とその碑文 |
レオニダス王は紀元前508年頃?に生まれ、紀元前480年の9月に戦死しました。
父が国王アナクサンドリデス2世で、そうの王位は兄のクレオメネンス1世が継承しました。
そのクレオメネンス1世の娘ゴルゴと結婚し、スパルタ王となりました。
レオニダスの息子はクレオメネンス3世として後に王位継承をしました。
レオニダスには レオンの部分は、古代ギリシャ語でライオンという意味があります。
当時のギリシャ人たちは、レオニダス率いる300兵で、ペルシア軍3万と対峙しました。
彼はまさにヘラクレスの再来とまで言われました。
ゴルゴ王妃は「スパルタの女はスパルタの男よりもさらに強い。なぜなら世界最強の男を産み育てるのだから!」と言ったそうな。
その1.紀元前480年頃のレオニダス像
下記の写真はスパルタ考古学博物館にあるレオニダス像の写真です。
ギリシャ文化省サイトからお借りしました。この次スパルタに行く予定もありますので、そのときまで、これを使用します。
このレオニダス像はスパルタのアクロポリスのアテナ・ハルキオコス神殿から発見されました。

これを基にして、スパルタ市内コンスタンティヌ通りとテレモピュライの古戦場にたつレオニダス像は作られたのでしょう。
その2.スパルタ市のレオニダス像
この像はスパルタ市内のコンスタンティヌ通りにあります。
顔があの映画「スリーハンドレッド」の映画の主役と同じ顔でびっくりしました。

古代デルフォイ(デルフィ)の神託によれば、「戦死を覚悟したスパルタ王の出陣で、それがなければ国が滅びる」ということでした。レオニダスは死を覚悟して、スパルタの掟に従い、戦い抜くことにしました。レオニダスとともに戦った300人のスパルタ兵士も、王に従いました。スパルタの兵士として生まれた宿命です。
【レオニダスの言葉 ΜΟΛΩΝ ΛΑΒΕ ・台座正面】

ΜΟΛΩΝ ΛΑΒΕ
(Μολών Λαβέ=モロン ラヴェ)というのは「奪いに来い」という意味です。
【スパルタのレオニダス像に書かれた碑文・台座横】

Ω! ΤΡΑΚΟΣΙΟΙ! ΣΗΚΩΘΕΙΤΕ
ΚΑΙ ΞΑΝΑΛΘΕΙΤΕ Σ'ΕΜΑΣ
ΤΑ ΠΑΙΔΙΑ ΣΑΣ ΘΕΛ'ΙΔΕΙΤΕ
ΠΟΣΟ ΜΟΙΑΖΟΥΝΕ ΜΕ ΣΑΣ
-Δ・Σολωμός-
おう 三百人よ 立ち上がりて、戻られよ
あなたの子供たちが会いたがっております。
その子供たちはあなたたちになんとよくにていることか!
-Δ・ソロモス-
この碑文はギリシャの詩人ディオニソス・ソロモス(Διονύσιος Σολωμός 1798-1858 ザキントス島出身)の詩です。これはギリシャ国歌「自由への賛歌(Ὕμνος εἰς τὴν Ἐλευθερίαν)の78番目の詩です。きのうディオニソス・ソロモスを調べていて、歌詞のギリシャ語で検索したら出てきました。
ギリシャ国歌とは、まるでギリシャの歴史をそのまま歌っているのではないかと思ったくらい長いです。絶対に覚えられません。それに儀式のときは158番まで絶対歌いません。せいぜい2番か3番目くらいです。
碑文といえば、テルモピュライの戦場の碑文が有名です。その碑文は古代ギリシャ詩人シモニデスの詩が有名です。
このスパルタのレオニダス像のところに書かれていたのディオニソス・ソロモスの碑文となった詩は、シモニデスの碑文を受けたものとなっていて、素晴らしいと思いました。
その3.テルモピュライのレオニダス像
この像は中央ギリシャのフティオティダ県テルモピレスにあります。
このレオニダス像は1955年に建てられたものです。
レオニダス率いるスパルタ軍は、はるかペロポネソスの南から、中央ギリシャのテルモピュライ(現在名テルモピレス)まで、行ったのですね。昔の人は偉いなぁ。

この山がコロノスです。この小さな山とその周辺が、歴史に名を残す戦場となったところです。

【テルモピュライの碑文】

Ὦ ξεῖν’, ἀγγέλλειν Λακεδαιμονίοις ὅτι τῇδε
κείμεθα, τοῖς κείνων ῥήμασι πειθόμενοι.
-Σιμωνίδης-
ここを過ぎ行くものよ、ラケダイモンに行きて伝えよ
われらはラケダイモンの掟に従いここに死すと
-シモニデスー
ラケダイモンはスパルタの古代名です。
シモニデスはケア島出身の大詩人で、紀元前556年に生まれ、紀元前469年にこの世を去りました。ずいぶん昔の人です。この英語訳は20以上もあって、それなりにそれぞれ訳されています。
彼の碑文はコロノスの小さな山の上にあります。写真は昨年撮影しました。
現在ギリシャがこうしてあるのも、ヨーロッパがこうしてあるのも、スパルタ王レオニダスとその300人の親衛隊の存在があるからなのです。
、、、などとギリシャ人が言おうものならば、ギリシャの国粋主義者などという人がいますが、私はやっぱりそれはそうだとも思います。
調べれば調べるほど、そのように思いました。
なぜならば、ヨーロッパの詩人や作家たち(シェークスピア、バイロン、シャトーブリアン)など、レオニダスのことが詩や小説の中に出てくるからです。
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→☆The Greek Cats☆Οι Ελληνόγατες☆ギリシャの猫
→ノラちゃんのギリシャ!(主にアテネの野良犬ブログ)
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父が国王アナクサンドリデス2世で、そうの王位は兄のクレオメネンス1世が継承しました。
そのクレオメネンス1世の娘ゴルゴと結婚し、スパルタ王となりました。
レオニダスの息子はクレオメネンス3世として後に王位継承をしました。
レオニダスには レオンの部分は、古代ギリシャ語でライオンという意味があります。
当時のギリシャ人たちは、レオニダス率いる300兵で、ペルシア軍3万と対峙しました。
彼はまさにヘラクレスの再来とまで言われました。
ゴルゴ王妃は「スパルタの女はスパルタの男よりもさらに強い。なぜなら世界最強の男を産み育てるのだから!」と言ったそうな。
その1.紀元前480年頃のレオニダス像
下記の写真はスパルタ考古学博物館にあるレオニダス像の写真です。
ギリシャ文化省サイトからお借りしました。この次スパルタに行く予定もありますので、そのときまで、これを使用します。
このレオニダス像はスパルタのアクロポリスのアテナ・ハルキオコス神殿から発見されました。

これを基にして、スパルタ市内コンスタンティヌ通りとテレモピュライの古戦場にたつレオニダス像は作られたのでしょう。
その2.スパルタ市のレオニダス像
この像はスパルタ市内のコンスタンティヌ通りにあります。
顔があの映画「スリーハンドレッド」の映画の主役と同じ顔でびっくりしました。

古代デルフォイ(デルフィ)の神託によれば、「戦死を覚悟したスパルタ王の出陣で、それがなければ国が滅びる」ということでした。レオニダスは死を覚悟して、スパルタの掟に従い、戦い抜くことにしました。レオニダスとともに戦った300人のスパルタ兵士も、王に従いました。スパルタの兵士として生まれた宿命です。
【レオニダスの言葉 ΜΟΛΩΝ ΛΑΒΕ ・台座正面】

ΜΟΛΩΝ ΛΑΒΕ
(Μολών Λαβέ=モロン ラヴェ)というのは「奪いに来い」という意味です。

Ω! ΤΡΑΚΟΣΙΟΙ! ΣΗΚΩΘΕΙΤΕ
ΚΑΙ ΞΑΝΑΛΘΕΙΤΕ Σ'ΕΜΑΣ
ΤΑ ΠΑΙΔΙΑ ΣΑΣ ΘΕΛ'ΙΔΕΙΤΕ
ΠΟΣΟ ΜΟΙΑΖΟΥΝΕ ΜΕ ΣΑΣ
-Δ・Σολωμός-
おう 三百人よ 立ち上がりて、戻られよ
あなたの子供たちが会いたがっております。
その子供たちはあなたたちになんとよくにていることか!
-Δ・ソロモス-
この碑文はギリシャの詩人ディオニソス・ソロモス(Διονύσιος Σολωμός 1798-1858 ザキントス島出身)の詩です。これはギリシャ国歌「自由への賛歌(Ὕμνος εἰς τὴν Ἐλευθερίαν)の78番目の詩です。きのうディオニソス・ソロモスを調べていて、歌詞のギリシャ語で検索したら出てきました。
ギリシャ国歌とは、まるでギリシャの歴史をそのまま歌っているのではないかと思ったくらい長いです。絶対に覚えられません。それに儀式のときは158番まで絶対歌いません。せいぜい2番か3番目くらいです。
碑文といえば、テルモピュライの戦場の碑文が有名です。その碑文は古代ギリシャ詩人シモニデスの詩が有名です。
このスパルタのレオニダス像のところに書かれていたのディオニソス・ソロモスの碑文となった詩は、シモニデスの碑文を受けたものとなっていて、素晴らしいと思いました。
その3.テルモピュライのレオニダス像
この像は中央ギリシャのフティオティダ県テルモピレスにあります。
このレオニダス像は1955年に建てられたものです。
レオニダス率いるスパルタ軍は、はるかペロポネソスの南から、中央ギリシャのテルモピュライ(現在名テルモピレス)まで、行ったのですね。昔の人は偉いなぁ。

この山がコロノスです。この小さな山とその周辺が、歴史に名を残す戦場となったところです。


Ὦ ξεῖν’, ἀγγέλλειν Λακεδαιμονίοις ὅτι τῇδε
κείμεθα, τοῖς κείνων ῥήμασι πειθόμενοι.
-Σιμωνίδης-
ここを過ぎ行くものよ、ラケダイモンに行きて伝えよ
われらはラケダイモンの掟に従いここに死すと
-シモニデスー
ラケダイモンはスパルタの古代名です。
シモニデスはケア島出身の大詩人で、紀元前556年に生まれ、紀元前469年にこの世を去りました。ずいぶん昔の人です。この英語訳は20以上もあって、それなりにそれぞれ訳されています。
彼の碑文はコロノスの小さな山の上にあります。写真は昨年撮影しました。
現在ギリシャがこうしてあるのも、ヨーロッパがこうしてあるのも、スパルタ王レオニダスとその300人の親衛隊の存在があるからなのです。
、、、などとギリシャ人が言おうものならば、ギリシャの国粋主義者などという人がいますが、私はやっぱりそれはそうだとも思います。
調べれば調べるほど、そのように思いました。
なぜならば、ヨーロッパの詩人や作家たち(シェークスピア、バイロン、シャトーブリアン)など、レオニダスのことが詩や小説の中に出てくるからです。
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by lemonodasos
| 2007-04-15 08:19
| スパルタ スパルティ
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