2014年 02月 02日
イオス島ホラ 伝統の町並み |
イオス島の中心地ホラの伝統の町並みをご案内いたします。まずお車の方は町の駐車場にを入れておいてください。島の道路は狭いので路上駐車などをすると、ほかの通行車両の迷惑となります。またホラの町の中に入る前に考古学博物館などを見学するとよいでしょう。閉館が午後三時というやる気のない公共サービスなので、早めに何でも行動しましょう。
ホラの町へ入る道はどこからでもありますが、駐車場からは上の写真の青い屋根の教会の脇を通過するのが早道です。

階段道を樽なのかガスボンベなのか知りませんけど、肩にかついでくる人がいました。本当にもうご苦労様です。そして若い人は貴重です。しかもこのような力仕事をしてくれる人、大切ですね。みんなのためになっていますよ。このところギリシャ経済危機の所為で、ギリシャを出国した純正ギリシャ人が50万人もいるそうです。これは日本に換算すると500万人ということです。大変なことですよ。ああ、寂しい。思うとなんか脱力してしまう。わたくしの寂しい気持ち、深いです。
小さな教会があちらこちらにいくつもありました。ギリシャ人が言うには、 小さな島の閉ざされた世界で、厳しい自然の中で、祈るしかない人々が心を寄せる場所が必要だった、 ということだそうです。
古代も中世も最近まで、船主とか船員とかは、ギリシャ人が多く、島出身の人が多かったことを聞きます。 今は貿易船やタンカーの船員は外国人となり、ギリシャ人の船主はロンドンに事務所を開いています。

迷路の町どこまで行っても同じような景色です。でも住んでいる人、おなじみの観光客にはとても違っていることが分るようです。頭の中が整理整頓されている人には、どんなところにいてもきちんと判断ができるようです。頭のぐちゃぐちゃした人には自分の進む道は見つからないのです。

そして中に入ると上りの石畳の道が現れます。
喫茶店やらタベルナやらお土産やさんやらパン屋さんなどが小さな道に並んでいます。
エーゲ海の島々の建物は家を白く塗ってなるべく光を吸収しないように反射させる工夫をしていたようです。

島の昔の人は海賊やらよそ者が来たりしたときのための近くに集中して住んでいたのでしょう。そしてなるべく見晴らしのよいところに住み、海賊などの船が見えたら一致団結したのでしょうかねぇ、、そんな気がしました。古代から近代まで、ヨーロッパは地中海貿易が盛んだったので、イオス島もその中継地となっていました。古代が終わりローマ時代、ビザンティン時代が過ぎ、1397年になると、ベネチア人のマルクス・クリスピという人物が島民を守るためという約束でこの地を統治し、この島を中継地とし地中海貿易をして富を得ていました。このようなことはナクソス島でも同様にあったことです。その経緯については良く分りませんが、島民はマルクス・クリスピの率いる武装集団によって、海賊の危険にさらされることなく暮らすことができたようです。
ホラの町の中の小さな広場にはい喫茶店などがいくつかありました。このような小さな広場はいくつかあるようでした。エーゲ海の島の特徴は白い家、狭い石畳の道です。イオス島には階段道や斜面の道でできているので歩きにくいです。 なんかもうすぐ疲れてしまうのは年を取ったからでしょうか、、なんか昔からわたくしは生まれながら、怠けなので、まぁこれでいいと思いました。それ以上の努力はもったいないと変な思想を持っているので、いつも夢の途中にいます。なんだかずっと目が覚めないまま、道を踏み外していたりして、、そう思うこともありますよ。

どこの島に行っても、小さな日本を発見する努力をしています。下の写真の青い木枠のドアのお店はイオス・ブルーと言います。夏の夜はオープンしているかもしれませんが、バーのようで、そこのメニューの看板をなんとなく見ていたら、神風KAMIKAZE(カクテルなのかな?)がありまして、おやまっ、と思いました。 

このイオス島の近くにミコノス島とか、ナクソス島とか、ティノス島とか、パロス島とか、サントリニ島とかあります。
エーゲ海の島々の建物は家を白く塗ってなるべく光を吸収しないように反射させる工夫をしていたようです。

島の昔の人は海賊やらよそ者が来たりしたときのための近くに集中して住んでいたのでしょう。そしてなるべく見晴らしのよいところに住み、海賊などの船が見えたら一致団結したのでしょうかねぇ、、そんな気がしました。古代から近代まで、ヨーロッパは地中海貿易が盛んだったので、イオス島もその中継地となっていました。古代が終わりローマ時代、ビザンティン時代が過ぎ、1397年になると、ベネチア人のマルクス・クリスピという人物が島民を守るためという約束でこの地を統治し、この島を中継地とし地中海貿易をして富を得ていました。このようなことはナクソス島でも同様にあったことです。その経緯については良く分りませんが、島民はマルクス・クリスピの率いる武装集団によって、海賊の危険にさらされることなく暮らすことができたようです。



メニュー看板はこんな感じです。小さな日本の発見です!ほかにカラオケバーもありましたけど、、。

まぁ、エーゲ下院キクラデス諸島のノスタルギアは共通していて、いい感じです。狭い道が迷路になっています。
迷路の町を散歩するのは楽しいですが、丘の傾斜地に広がり町だと、上がったり下りたり、体力がないよと暮らせないかもしれません。食料品店やらスーパーマーケットやらはこの町の外にあるので、歩いて買いに行かなければなりません。そして重い買い物を持って歩くのです。玄関横付けの暮らしはできません。美しい町に暮らすのは容易なことではありませんなぁ。

イオス島は良いよ、エーゲ海で一番好き、静かで海水浴場が充実して、何よりも人が込んでいない・・・。

そのように話すギリシャ人の友だちがいます。なるほど、本当にその通りですが、、
なんか、人がもっとほしいとk路だなぁと思いました。

この島であった外国人、イギリス人が多かったような感じです。ミコノス島でひとしきり楽しんで、この島でボーっとしているという感じでした。しかし飛行機はないし、船の便も多いわけでもないし、、、そういうのが、とても不安になりますね。こんな良いところに来るには時間をたくさん容易しないと難しいかもしれません。



どこまで行っても迷路が続くので、引き返すことにしました。
やれやれ、明日はどっちだ!? あっ、そっちね、という軽薄短小に決心して、あとで後悔することばかり。
イオス島に何度来てもいいなぁと思います。それはこの島に何か大切なものを忘れているか、
或いは大切なことを思う出だしていないからかもしれません。まぁ、いいか、また来るとしよう。
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by lemonodasos
| 2014-02-02 22:38
| イオス島
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