テルモピュライのレオニダス記念碑 |
Mνημείο του Λεωνίδα στις Θερμοπύλες
Monument of Leonidas in Thermopyles
フティオティダ県ラミア市テルモピレス
Νομός Φθιώτιδος, Δήμος Λαμιέων, Θερμοπύλες
Prefecture of Fthiotida, Lamia City, Thermopyles
紀元前480年に「テルモピュライの戦い」という歴史的に有名な戦争があった。
その古戦場にギリシャの大英雄スパルタ王レオニダス1世大像が記念碑がある。
このレオニダスはコロノスの丘の方向に見ているだ。
レオニダス(1世)は紀元前 540年にスパルタ(ラケダイモン)に生まれ、
紀元前480年8月11日60歳の時にテルモピュライの戦いで戦死した。
スパルタ王として、紀元前489年から紀元前480年まで、在位した

ΜΟΛΩΝ ΛΑΒΕは古代ギリシャ語で、モロン・ラヴェ(Μολών λαβέ)と読む。
「来て持っていけ!」という意味で、武器を奪いに来いということである。
英語だとCome and get them と訳される。
getのところがtakeだったりもする。
この完全武装したレオニダス大像は1959年にギリシャ系アメリカ人たちの寄付によって建てられたものである。ギリシャ人彫刻家ヴァソス・ファリレオス(Βάσος Φαληρέως/Βάσος Φαληρέας)の寄って制作され、この記念碑全体がデザインされた。
この彫像は紀元前5世紀に大理石で制作されたレオニダス大像で、スパルタ考古学博物館に展示されている。ウィペディアの写真からお借りした。
テルモピュライで激しい戦いは3日間続いた。
レオニダス王率いるギリシャ軍はおそらく7000人以上とクセルクセス王率いるペルシア軍は170万人以上(へロドトス歴史)の戦争であった。 ペルシア軍の兵力については歴史家によっていろいろある。兵力の差は圧倒的であったが、ギリシャ軍は作戦をたてよく戦い、ペルシア軍を圧倒していた。レオニダス率いるギリシャ軍は地理的条件を把握して、ペルシア軍を粉砕し、善戦をしていたのだった。しかしギリシャ軍の中に敵と内通するものがいた。内通者はエフィアルテスという男だった。
裏切者 エフィアルテス・オ・エウリデム
ギリシャ文字でΕφιάλτης ο Ευρυδήμουと書き、
現代ギリシャではエフィアルティス・オ・エヴリディムと読む。
この名前の意味はエウリデモスの息子のエフィアルテスである。
彼はのカリドロモス山の道筋をすべて敵のペルシア軍に知らせていた。
このエフィアルテス裏切りのためにギリシャ軍は全滅したのだった。
いつの時代も売国奴はいるのものだ。
現代ギリシャではエフィアルテスは悪夢という意味で使用される。
辞書で引いてもその単語になる。
ギリシャ軍の兵力
テルモピュライの戦いではギリシャ軍はスパルタ兵300だけではなかった。
実際はギリシャ軍は各地からやって来たのだった。
その指揮はギリシャ最強の軍隊を持つスパルタのレオニダス王だった。
テルモピュライの戦いの兵力はヘロドトスの「歴史」によると次のとおりである。
〇ペロポネソス半島の各都市から参加人数 合計3100人から4000人
1.スパルタ(ラケダイモン)最強兵300
2.ラケダイモンのペリオコイ 900
(ペリオコイ=スパルタ領域で自由に住む人々で市民権を持たない人々)
3.ヘイロタイ 900
(ギリシャ都市国家やスパルタで捕虜となり市民権を持たない人々)
4.マンティネイア 500
5.テゲア 500
6.アルカディアのオルコメノス 120
7.アルカディアのほかの地域 1,000
8.コリントス 400
9.プリオス 200
10.ミケーネ 80
〇ギリシャ本土の各都市からの参加人数 2.100+マリエス人+東ロクリス人全兵力
1.テスピアイ人 700
2.マリエス人 不明
3.テーバイ人 400
4.フォキス人 1,000
5.東ロクリス(オプ―スを中心とするロクリス)全兵
※ギリシャ軍の総兵力は、5,200(或いは6,100)に加えて、東ロクリス人の全兵力であった。数は各歴史家の想定でいろいろある。

古代デルフォイ(デルフィ)の神託によれば、戦死を覚悟したスパルタ王の出陣がなければ国が滅びるという。
スパルタ王レオニダスは死を覚悟して、スパルタの掟に従い、戦い抜くことした。レオニダス率いるスパルタ軍300兵がテルモピレスにやって来た。世界最強の男たちとして歴史に残る。レオニダスはまさにヘラクレスの再来と言われた。スパルタ王家はヘラクレスの血を引くものである。古代ギリシャの王族や支配者はゼウスのを通して、神話上の英雄ヘラクレスの祖としていたり、ほかにはアイアコス(ゼウスの子にしてアキレウスの祖父)を祖とする王族もいたり、そのほかの神々の子孫もいた。
レオニダスの父はスパルタ王アナクサンドリデスの三男として生まれる。母はアナクサンドリデス最初の妻だった人。妻は異母兄スパルタ王クレオメネス1世の娘ゴルゴという女性だった。これは叔父姪の結婚であった。レオニダスの戦士後はその息子がプレイスタルコスが王位を受け継いだ。幼少だったので、摂政にレオニダスの弟クレオンブロトスが就いた。
古代デルフォイ(デルフィ)の神託によれば、戦死を覚悟したスパルタ王の出陣がなければ国が滅びるというのだった。
スパルタ王レオニダスは死を覚悟して、スパルタの掟に従い、戦い抜くことした。レオニダス率いるスパルタ軍300兵がテルモピレスにやって来た。世界最強の男たちとして歴史に残る。レオニダスはまさにヘラクレスの再来であった。
レオニダスは出陣するときにゴルゴに「良い男を見つけ、良い子供らを産みなさい」と言った。レオニダスとゴルゴの結婚は叔父と姪の関係だったので、ゴルゴは若かったのかもしれない。ギリシャ語で男はアンドラス(άνδρας)というが、その言葉には男の意味もあるが夫の意味もある。ゴルゴとの間に息子がいて、次代の王になったが、少年だったので摂政がついて、スパルタを統治したという。
ゴルゴ王妃は「スパルタの女はスパルタの男よりもさらに強い。なぜなら世界最強の男を産み育てるのだから!」と言った。
文字は同じであるが、タウゲトスは現代ギリシャではタヴゲトスと発音される。
スパルタにはタヴゲトス山脈があるので、その擬人化或いは神格化した彫像
タブゲトス山脈はラコニア県(県都スパルティ)とメッシニア県とアルカディア県にまたがっている。その中で最も高いのがプロフィティス・イリアス(預言者イリアス)2,404 mである。タヴゲトス山脈はオデュッセア(オデュセウスの物語)にも出てくる。ヨーロッパの山として記録に残る最も古い者のひとつである。神話ではタウゲテ(タヴゲテ)というニンフの住んでいた話もある。
高速道路

レオニダスの記念碑とコロノスの丘は国道を隔てて向い側にある。
このあたり最近不気味な難民がうろうろして怖い!油断するとついて来そう。
この辺は観光地と言っても、人家もほぼない。
駐車場があるので、車で日帰りで行くのがよいかもしれない。
コロノスの丘 写真1

コロノスの丘 写真2

コロノスの丘の頂上へ行く道

頂上には碑文があり、シモニデスの詩が彫られている。

碑文を拡大

Ὦ ξεῖν’, ἀγγέλλειν Λακεδαιμονίοις ὅτι τῇδε
κείμεθα, τοῖς κείνων ῥήμασι πειθόμενοι.
-Σιμωνίδης-
通り過ぎし見知らぬ者よ、ラケダイモンに行きて伝えよ
われらはラケダイモンの掟に従いここに死すと
-シモニデスー
ラケダイモンはスパルタの古代名である。
カリドロモス山

裏切者のエフィラテスはこのカリドロモス山からテルモピュライへ続く小道を教えたのだった。
コロノスの丘からレオニダスの記念碑を撮影

テルモピュライの古戦場 写真1

テルモピュライの古戦場 写真 2

赤い屋根の建物は現在難民キャンプで不気味。難民と称して勝手にパスポート無しでやってくる人々の図々しさに驚く。法治国家の人は怖くてできない密入国であるが、難民と称して平気でやってくるのは、やはりそれなりの恐ろしい人々と思う。
テルモピュライからの出土品 武器類 アテネ国立考古学博物館

ギリシャ軍の完全武装 イラスト アテネ国立考古学博物館

古代ペルシア軍の武装 ペルガモン考古学博物館
クセルクセスの墳墓のレリーフ 統治した各民族が描かれている
各民族の特徴が彫りこまれていて、ペルシア帝国の偉大さを感じる。

テルモピュライとは熱い門という意味で、
現代ギリシャ語ではこの地をテルモピレスと呼ぶ。

神話によると、この温泉はアテナ女神がヘラクレスのために作ったものである。
ヘラクレスは十二の功業で疲れた身体を休めたという。
レオニダスはヘラクレスの再来と言われた。スパルタ王族の先祖はヘラクレスである。ギリシャの都市国家の王族はヘラクレスの血を引くと言われているところけっこうあるようだ。わたくしの知るところではたとえばマケドニアのアレクサンドロス大王、コス島の王、など、、。
ちなみに現代ギリシャにはレオニダスという名前の人が結構いる。
それにしても裏切り者は許し難いですね。
あのスリーハンドレッドの映画のレオニダスが彫像にそっくりで驚きました。




