イパティの中世の城跡は古代アクロポリスだった! |
Μεσαιωνικό Κάστρο της Υπάτης
Medival Castle of Ypati
フティオティダ県ラミア自治体イパティ
Νομός Φθιώτιδας, Δήμος Λαμιέων, Υπάτη
Ftiotida Prefecture, Lamia Municipality, Ypati
要塞壁の一部はヘレニズム(ギリシャ文化、ギリシャ的様式)時代に建設されている。その後の初期キリスト教時代にユスティアヌス皇帝(527-565)の時代にさらに塹壕が新しくつくられた。
中世のビザンティン時代にはネオパトラスという王国ができて、イパティはその首都だった。独立国として数代続いた。その間にも近隣からの攻められることも多かった。いろいろな時代があって、最後的にはオスマントルコの侵入によって、トルコ支配となり、その後ギリシャ独立で、地名がイパティと元の名前になった。
この地は現在中央ギリシャ地方のフティオティダ県ラミア自治体であるが、古代と中世においてはテッサリア地方だった。
一応見学してきたので写真を掲載する。
遠景
遺跡へ上がる階段
見晴らしの良い風景
イパティの町
城門
城門の中
遺跡
建築物の基礎部分
建築物を含む下界の風景
中世の塔
貯水槽へ行く道
フェンスの下は絶壁
貯水槽周辺の廃材
貯水槽
コンクリートの円柱は城跡の一番高いところ
切り立った岩山
もう一つの貯水槽
遺跡看板の写真
車での帰り道 来る時と同じ道だけど、恐ろしい道のり。
このような狭いところも普通車で行き来した。
途中に石が転がっていたりしたので、脇へ寄せながら来た。
こんな山道でも道がいくつもあって、迷いそうになった。
迷ったら引き返しはバックでしなくてはならない。
ときどき道を小さく切断するようにどこからか水が流れ出ていて大変だった。
この遺跡の看板の中に、わたくしはラミア考古学博物館で見たスフィンクス像の写真があった。博物館で見たときに、説明ボードがなくて、どこから出土しているのかわからなかった。なんかもう分からないことがちょっとわかって嬉しかった。次の記事で紹介したい。