ケファロニア島のアッソス城 |
Κεφαλληνία - Κάστρο της Άσσου
Kefalonia - Assos Castle
アッソス城は半島の丘170メートルに軍事施設的な役割のために建設された
壁の長さは2000メートル、内部面積は44000平方メートルの規模を持つ。
1593年に建設が開始され、1596年までに要塞が完成した。
ケファロニア島の主都は1584年までアギオス・ゲオルギオス城を中心として政治経済が成立していた。しかしアギオス・ゲオルギオス城ではトルコの脅威や海賊の襲撃から島全体を守ることができなかった。そこでケファロニア人(ギリシャ人)の貴族或いは名士によって、新しい要塞の創設要請がベネチア上院に提出された。その要請が通過して、アッソス城が建設された。
アッソス城はケファロニア島の北ケファロニアのベネチア総督(Proveditore)の本拠地となった。この城建設ははベネチア人にとっって巨大かつ野心的なプロジェクトだった。アッソス城の要塞の中で住民が安全に暮らせるように計画した。
しかしそのプロジェクトは成功しなかった。地域住民を魅了することなく、すぐに戦略的重要性を失ったのである。この城内で住民を守るにはできるのが、水を確保することが非常に難しかった。トルコの脅威も海賊侵入も防げる立派なものだったが、その心配もすっかりなくなり、ケファロニアの中心は住みやすいアルゴストリに移ってしまったからである。それにもかかわらず歴史的にはギリシャ最大の城のひとつとして残った。
1797年にベネチア支配は終わりまで、ベネチア提督の席はこの城に置かれた。
ベネチア風なノスタルジーを残すアッソス村の海岸の家々。
廃墟と化しつつあるアッソス村のベネチア時代の建物
1789年以降はアッソス城は政治経済の中心として使用はされなかった。
1822年にギリシャのテスプロティアのスーリ人(ギリシャの地域の人でトルコと敵対していた)の1700人の難民を場内へ滞在させた。
1865年にイオニア諸島の七つの島とギリシャの地方を合併させて小さなコミュニティーを作り、城内にそれが残った。城内というか要塞の中に人が住んでいたのである。
1920年後半に城内に刑務所の農場ができ、第2次世界大戦後には政治犯が収容されていた。
1956年にイオニア諸島に大地震が起き荒廃した。
1961年の国税調査ではこの城塞(というか要塞)には6人の住人が住んでいたという。
1963年までその住人たちがここに住んでいた
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