古代コリントスのエウクレス浴場 |
Αρχαία Κόρινθος - Τα Λουτρά του Ευρυκλίου
Ancient Corinth - The Baths of Eulykles
エウクレスの浴場はローマ時代に建設されたもので、コリントスの数ある浴場の中で最も有名であった。
ローマ時代にはいくつかの浴場が国費によって賄われていたが、このエウクレスの浴場はラコニア地方のラケダイモン(スパルタ)の裕福なギリシャ人のユークリッド一族によって施工された。レウクレスはその一族の出身であった。建築材料の石はラケダイモン産のラピスなどを含む様々な石でが利用されていた。
ユークリッド一族はアクティウムの海戦で戦功を治め、その名を残したという。その一族のレウクレスの浴場を施工したレウクレスは西暦2世紀の初頭に、この世を去っている。
※アクティウムの海戦(アクティウムのかいせん、ラテン語: Actiaca pugna)は、紀元前31年9月にオクタウィアヌス支持派とプトレマイオス朝及びマルクス・アントニウス支持派連合軍の間で行われた海戦である。海戦の名は戦場がイオニア海のアクティウム沖(現在のギリシャ共和国プレヴェザ付近)であったことによる。ウィキペディア)
パウサニアスによれば、
コリントスには様々な浴場があり、大方は国費造営だが、その中のひとつはハドリアヌス皇帝による造営もある。さらにその中にはもっとも有名な者は、このポセイドン像の近くにあるエウクレスの浴場である。エウクレスはスパルタの裕福な市民であり、使用された石材はスパルタのクロケアイ採掘場からのもので、さまざまな装飾が施してあった。ポセイドン像、狩猟姿のアルテミス像など、、、。
現在は風化したエウクレスの浴場のみが残り、コリントス博物館内にはそのポセイドン像や狩猟姿のアルテミス像は展示されていないので、どこかに持ち去られたのか、あるいはどこか建築物の壁の間に廃物利用されて分からないくなったか、、、パウサニアスの書き残したそれらの彫像類はない。
遺跡の中に入ることはできないので、遺跡出口の階段から望遠で撮影してみた。
コリントスには様々な浴場があったので、水がたくさん供給しなければならなかった。ハドリアヌス時代に公共工事で、スティンパロスの湖からコリントスまで水道を引いたという。
浴場遺跡の奥に彫像のようなもの見える。これはローマ時代の皇帝の誰かなのかもしれない。この浴場の上物や壁がなくなっているのは、風化しただけではなく、どこかの廃物利用されたからだと思う。