PHILIPPI その1 古代都市フィリピ フィリッポス2世の建設 |
フィリピは古代はフィリポイと呼んだのかもしれません。
ここに住んでいた住民たちはタソス島の植民地になることを拒否し、フィリポス2世に進んでその保護を願ったのでありました。
ほかにフィリポスの名前が付いた古代都市があります。現在のブルガリアにあるフィリポポリです。現代のブルガリアのフィリポポリにはギリシャ人も住んでいます。
昨今の現代ギリシャ・マケドニア地方の人たちは年金が少ないのでそちらに暮らすことにした人もいるそうです。またギリシャの歯科治療がは高いのでブルガリアまで行って治してくる人もいるとテレビで言っていました。
フィッリポスとはフィリは友だちイポスは馬で、馬の友だちと言います。
ちなみに河馬(カバ)ギリシャ語でイポポタモスで、イボスは馬でポタモスです。河の馬と良い訳語なぁと思いました。
初期キリスト教時代
左上の写真は5世紀のアトリウムのあるバシリカ教会です。アトリウムというのは庭と訳す人もいますが、オープンスペースのようなものです。右上の写真は古代ローマ時代の地下聖堂です。
使徒パウロの刑務所
エグナティア街道へ下りていく階段のあたりにこの使徒パウロの刑務所があります。
古代ローマ時代はまだリスト教が迫害されていました。キリスト教に余り詳しくないのでここから先は分かりません。
しかし、ヨーロッパで最初のキリスト教会が出来たのが、このフィリピであったことは歴史的な事実であります。
使徒パウロはこの地で占師の悪霊に憑いた女奴隷の魂を救いました。このことで使徒パウロが怪しい術を使うというので投獄されてしまうのです。投獄中にも彼はこの刑務所の番人からも慕われることになりました。こうしてフィリピには彼を慕うものたちが増えていったのです。
新旧エグナティオ街道
この道路が現代のエグナティオ街道です。その道路の向うに見えるのがローマ時代の古代遺跡フォーラムです。古代のエグナティオ街道はこのエグナティオ街道の下の遺跡の中にあるのです。すべての道はローマに通ずるといったローマ人が作ったローマへの道などと書いてある本がありますが、それはおごりですよ。
だってその前にアレクサンドロス大王だって征服しています。この道はペルシアの道、インドへ道でもありました。ああ判官びいきな私ですよ。
だいたい古代ローマになると何でかつまらなくなります。つまりキリスト教なんかもでて来るし神話古典哲学などヘレニズム(ギリシャ文化)が伸び伸びしている時代のほうがずっと面白いのですよ。古代ギリシャの文化の面白さはヨーロッパの核があるから面白いのです!
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ギリシャ関連の検索をするとよく出てくるので何度か拝見させて頂いておりましたが、今回フィリッピの紹介を本ブログに掲載するに当たり、当ブログの方にこちらのフィリッピの記事のリンクを付けさせて頂きました。
ギリシャよりもローマ時代に焦点を当てた記事で申し訳ありません・・。
もし支障がありましたら、お知らせ下さい。
すごく充実したブログなので、ギリシャそのもの以外の事も勉強になりました。これからも充実した記事を楽しみにしています。