テルモピレス レオニダス王記念碑及び古戦場 |
そこを行く見知らぬ者よ
スパルタにい行きて、その国人に伝えよ
われらはスパルタの法に従いここに死すと
ご存知のように、スパルタといえばスパルタ教育の発祥地です。古代のスパルタに生まれた男子ならば、子供の頃から徹底的な戦士として育てられるわけです。それがスパルタの掟ですから。・・・なのでオタクは存在しないのです。
レオニダス王はそのスパルタの王で、私は彼をギリシア人の中のギリシア人だと思っています。こういう王が自分たちの王ならば、部下として一緒の戦って命を落としても悔いなしです。
レオニダス王の戦闘はその後、ヨーロッパの兵法の一例となっています。これは死を覚悟して少数で大軍と戦い、敵に大打撃を与えることです。敵の王クセルクセスはこの戦闘で弟2人をなくしたのです。
(左の写真はギリシャ軍の陣地が青い色で、ペルシア軍の陣地が赤い色で示されています。)
多勢に無勢のギリシャ軍の将であるレオニダス王及びスパルタ兵はここに絶滅しました。
しかしその多大な犠牲を払ったスパルタ軍の戦闘が、プラテエスの戦いでのギリシャ軍勝利を導き、その後のサラミスの海戦でのギリシャ軍勝利へ導くのでした。
<ペルシア戦争>
紀元前5世紀アケメネス朝ペルシアのダレイオス1世はギリシア陣の住む小アジアに侵攻、領土拡大をし始めました。とうとうギリシアの中央まで軍隊を派遣してきました。
第1次ペルシャ戦争は紀元前490年のマラトンの戦いです。このときが苦戦の末にミルティアディス将軍の率いるギリシア軍が勝利しました。このときマラトンの戦士がアテネまで勝利を知らせに走ったのがマラソンのコースです。マラソンもマラトンも英語とギリシャ語にすれば同じ言葉なのですが、日本語だと地名とスポーツで、違う表記になりますね。
第2次ペルシア戦争が紀元前480年です。このときの戦闘がテルモピレスのでのレオニダス王率いるスパルタ軍の戦闘、その後プラテエスの戦闘、最後にサラミスの海戦と続いたのです。このときはダレイオス1世の息子クセルクセス王がギリシャまでやって来たのでした。
現代の政治家も戦争をするのであれば、このぐらいの覚悟でやってもらいたいと思います。口で支持するのは簡単ですよ。現代の戦闘地区において、元首自ら先んじて戦闘に参加することになったら、戦争がなくなるかもしれません。元首が前線に立って戦え!と言ったら、あの国のあの人も、その国のその人も逃げると思うなぁ。きゃ~コワイよぅ~ママってね。ちょっとずる杉!
テルモピレス古戦場
このテルモピレスの戦闘が、あの映画「ラスト・サムライ」の中に多勢に無勢の戦いとの勝利の例として語られています、ラストサムライである渡辺謙扮する殿様にトム・クルーズ扮する??によって語られるのですよ。私もその映画のそのシーンを覚えています。映画館の中にいたギリシャ人たちが「あ~あ、勝っていないよ全滅だよ。まったくハリウッドだなぁ」と言っていました。
さてギリシャの観光大臣のアブラモプロス氏がハリウッドの映画会社「21th century」を訪問しました。
「アレクサンドロス大王の後にまたギリシャが舞台の映画を作って欲しい。そして観光客を増やしたい・・・」などと話していました。
するとこの映画会社の社長はたまたまギリシャ人で、「今度はレオニダス王の映画が出来ますから」と話していましたよ。もうできたのかなぁ?その映画は「テルモピュライのレオニダス」といいますね。
レオニダス王の碑文
ギリシャ人に聞いたところによると、スパルタの正式古名はラケデモンだそうです。しかしスパルタという言葉も使っていたと思いますよ。現代ではスパルティと言っていますが・・・。
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へー! スパルタはスパルタじゃなかったのですねー!! :-)
はじめて知りました!!
なは、でも、なんて読むのでしょう? そのままローマ字読みすれば
「らけだいもにあす」?でしょうか? :-)
当方は、現代ギリシャ語を、遅々と勉強しているところです。
さて、この記事中の碑文の説明書にある、《 》 の文は、古典語も現代語も同じ内容のものでしょうか?
現代語の方には、解釈とありますが。私には、現代語は、
「訪れていらした見知らない方、急いで行って、ラケダイモンの人々に伝えて下さい。「私たちは、ここで、私たちがラケダイモンの法に忠実なのが分かった。」と。 」と読めて、
古典語の方は、
「異邦人よ、ラケダイモンの者らに伝言を。「横たわったまま、苦しみ、死んで行く。」 」のように。(古典語の方は、幾つかの単語から類推しただけです。)どうなのでしょうか?
またここを通る人は異邦人よりも見知らぬ人のほうが良いと思います。なぜならば、確かに古代は都市国家でしたが、しゃべる言葉ギリシャ語です。異邦人ならばこの言葉が分かるわけではないからです。この時代の異邦人はペルシャ人ですから、異邦人は該当しません。これはレオニダス王がの話し言葉で、威厳をもって訳すことが良いと思います、古代はこのレオニダス及びスパルタ軍の活躍ぶりのための碑文がたくさん出来たそうです。
私たちが見つけられる=βρισκόμαστε 受身
誰が見つけるか?彼ら=スパルタの国人たち。
ラケダイモンの法に従いここに死んでいるのを見つけられると伝えよ。
私の場合はたぶんこんな感じですね。
とても勉強になります。
《》の中は、最初の部分が古典語、次が現代語での、続いたもの、でよいのでしょうか(別の文章)? 古典語と現代語は重なる単語がラケダイモンだけなので。
ごく一般に、古典語、現代語、ここでは英語ですが、他の言葉が並べてあると、訳が付けてあると思ってしまうので。
私は、ラケダイモンの話は知りませんので、現代語の文からだけでは、死んでいるというのまでは読めないのです。
βρισκονται は、死体が発見されるときにも使われるので、これだけで含意しているということでしょうか。また、βρισκομαστε は、中動相ですが。受け身かどうかは、ちょっと疑問が残ります。ειμαστε の替わりのようにも思えますし。伝言を託している場合なので、節の中の主語は、託している相手で構わないとすれば、βρισκεις なのかな、と感じます。それで、再帰動詞ではないけれど、自分たちで自分たちを、どうであったのか理解した、という意味なのかな、と考えました。
私の元の質問の主意は、《 》内の古典語を、そのまま現代語に訳したものが次の《 》に書いてあり、それをまた、英語に訳したものなのでしょうか、ということです。それだと、古典語には、ノモスの語がないし、現代語には、πεθαινω のような語がないしで、どうなのかな、と感じますから。そうでなくて、共通の出典から、それぞれ翻案してるのかな、と、思ったのです。
と、
βρισκεις は、見つけるという意味で使うのなら、これで十分な気がするのです。で、ειμαστε の意味で使っているか、分かるの意味なのじゃないかと。
対応する語が大体分かりました。英文が、ほぼそのままなのは、直感できました。
ρημασι が、法に当たる語だとは思いませんでした。
現代語に、ρημαζω という語があるので、それに近い意味かと思って。
プラトンの対話篇にも『ノモス』という題があるので、ノモスを使っている筈だと思い込んでいました。
それに、πειθομενοι は、πεθαινω かと思っていましたし。(πεινω に近いものですね。)
κειμεθα は、κοιμαμαι に近い語だろうと思ってました。辞書を引けば、
κειμαι という語があって、「ある」の意味で、=βρισκομαι となってます。
例文で、墓碑の典型、ここに永眠せり、Ενθαδε κειται があります。そうならば、
現代文で、βρισκομαστε とあっても、そのニュアンスがわかります。
で、古典文と現代文が重なりました。
ありがとうございます。
「通りがかりの方、急いで行って、ラケダイモンの人々に伝えてくれ、ラケダイモンの掟に忠実な私たちは、ここに永眠している、と。」
πιστοι は主格ですし。