スコぺロス島に上陸! |
今回は復活祭の休暇でやって来た。数日前から上陸して島の観光と遺跡見学をしているのだが、この島にはめぼしい遺跡は皆無である。最近では映画マンマ・ミーア!
の舞台となったので観光客もやってくるようになった。
パスハリア(Πασχαλιά0の花が咲いていた。山にも里にも咲いている。この木の花は復活祭(パスハ/Πάσχα)の頃に咲くのでそのように言う。
スコペロス島について島の地図とガイドブックを購入した。
ギリシャ語版が1冊だけあって、英語版は完売、ドイツ語とフランス語が数冊残っていた。そして地図は二つ買ったが、なんか素敵なこっちに載っているものが、そっちに載っていない。アスクレピオ神殿、へーバイトス神殿、アテナ神殿、スタフィロス墳墓、ローマン・バス、ローマ時代の建築物、アクロポリス三つ、センドゥキアの古代墳墓、、、。その中でわたくしが見つけたのは三つくらいだった。
それで土地の人に聞いたら「ナニコレ?聞いてないよー!」と言うのだった。
あんまり地元のことに興味がないのかな?それでも観光客が欲しいわけ?と思ってしまった。よくよく聞いてみたら、こういうのがあると発表されたことがないし、観光地だから絶対に教えてほしいものだというのだった。
さらに地元の酪農業の方に聞いたら「オレは毎日この辺を歩いているので、山奥の遺跡について知らないわけがないのだよ」と言うのだった。なるほど、なるほど、そりゃそうだと深く感動してしまった。そして酪農家の方にある遺跡への行きかたを教えてもらった。「道に迷わないようにね!」と注意勧告された。
今はテキトーに観光ガイドを読み込んでいるので、少しわかったことだけを書く。
ギリシャ神話によるとこのスコペロスの王はスタフィロスという人物だという。父はディオニュソス神で、母はクレタ王女アリアドネである。ギリシャ語で葡萄のことをスタフィリ(複・スタフィリア)という。島にスタフィロスという場所があって、そこに紀元前16世紀から紀元前15世紀の墳墓があって、スタフィロスの墳墓とどなたか知らないが、考古学者の誰か言ったのを、そのまま観光地図に載せてしまっている。地元の人に教えてあげないままにしているらしい。出土品は本土のヴィロス考古学博物館に展示されているそうだ。そこで確認しないとどうも難しいらしい。
わたくしは観光地図を二つ買った。一方にはへーバイトス神殿と書かれている場所があって遺跡マークがついていた。地元の人はほぼ誰も知らない。しかし地元の人は、それが本当にへーバイトス神殿なら、なんで知らされないのか? 積石のようなものはいろいろあるのだが、余りにも少しで特定できないのに、特定している人は誰だ?、、、のようなことを言う人もいた。
アスクレピオス神殿はスコペロス・タウンの海岸通りにあるのだが、フェンスの鍵がかかっていて中には入れなかった。そしてもしは入れたとしても草木に覆われてしまっていて、手入れがされないままになっている。わたくしは外側から写真を撮影するだけだった。
ルトラキにある古代セリヌウスのアクロポリスに行く道が草木に追われ過ぎている。アクロポリスの丘はわかった。海岸側にローマ時代の公衆浴場は見ることができた。そして近くの町中にローマ時代のボロボロ建築物も見た。アクロポリスには中世の城壁が残っていて、斜面かどこかにパンの洞窟もあるそうだ。あのアクロポリスを探し回るの至難の業である。誰もパンの洞窟について論文や写真を上げている人はいない。
スコペロス・タウンの中央にアクロポリスがある。スコペロス島は古代にはぺパレトスと呼ばれ、クレタの植民地であったという。
ズーム・アップしてアクロポリスをみると、そこには中世の城壁だけが残っているだけとなっている。
スコペロス島の考古学的発見物はヴォロス考古学博物館に展示されているという。知らなかった!スコペロス島からアテネへ戻る途中でヴォロスによって博物館を隅から隅までじっくり見たい。
それから島の北にあるルトラキという村の海岸にローマ時代の遺跡があって見物をしたのだが、そこの説明掲示板にはアテナ像とアフロディーテー像が発見され、アテネ国立考古学博物館所蔵と書かれていた。わたくしは月に一度はアテネ国立博物館に行き、出土場所の確認をしているのだが、スコペロスのアテナ像とアフロディテ―像は見たことがない。とっくの昔に発見されたのに展示されていない。そういうことを誰に聞けばいいのだろう?