レスボス島から書いていこう! |
レスボスやヒオスの島中の遺跡を撮影したつもりだが、どこか忘れてしまったところもあるかもしれない。
その後はギリシャ本土を歩き回ったのだが、いつもどこかの遺跡を忘れて、アテネに戻ってきてしまう。たくさん写真があって、どこから書こうか、いろいろ考えてしまって、なかなか更新できない。
9月4日の早朝に船でレスボス島に着いた。車を持ち込んだので、飛行機ではなく船にしたのである。真夜中にピレウスを出発して船の中で一泊した。レスボス島へは船だと早朝につき過ぎて、もう、黄金の夜明けを見ることになる。なんか黄金の夜明けというのはギリシャ語ではフリシ・アヴギという。ギリシャの右政治団体の党名にしているから、なんだかなぁ、と思った。まぁね、より良い明日を目指して、頑張ってくださいよ!という感じだ。
レスボス島は正しくはミティリーニ島という。元々はレスボス島という地名だった。しかし、まぁ、どちらでもOKである。この島の中心地というか首都もミティリーニという地名である。レスボスだとレスボス人と英語でいうとき、レ○ビア○となる。なんかこういう問題にギリシャの地名を使用するのは良くないと思う。それにサッポーという古代詩人がそうだったからということで、そのようになったというが、サッポーが本当にそうだったかどうかは誰にもわからない。
ちなみにレスボスというのはラピタイ族の王子の名前で、この島に王の養子になったのか、婿だったかで来たのか、神話上の王の名前である。
レスボス(ミティリーニ)島のミティリー二の町の港を降りると自由の女神のブロンズ像があった。朝陽の中で女神の崇高な姿を目にした。数日後この像のそばに行って、もっと写真撮影をしたかったのだが、男の難民たちがズラ~~~~っ像の下に座っていた。難民たちには自由行動が保障されいるのだ。まぁ、難民キャンプからここまで歩いてくるのか、難民キャンプが嫌なのでここにいるのか、あるいは書類が揃わないから、誰かのトラックとかに隠れて乗り込んでしまおうかとか、考えているのかな?と勝手に想像した。
海岸沿いを歩いて、早朝でも開いている喫茶店を探し、コーヒーとサンドイッチを注文して、これからどうするか考えた。まず地図を広げて、近辺の観光名所をチェックし、考古学博物館の場所を確認した。
この停留所のところに普通に難民の皆さんがバス待ちをしていた。こんな朝早く(6時か7時)から、自由行動をしているんだなぁと感動した。わたくしなどは自宅にいるときも、旅行のときも9時くらいにしか起きないから、すごい!と思った。パスポートもなくどこの国かも判断する証明書もなく健康記録もないのにうろうろさせていいのかなぁと思った。島の人たちとは問題を起こしてはいないようだが、難民同士で諍いを起こしてプレハブに火をつけたりしているらしいが、そういう詳しいことを住民に知らされていないようだが、噂はすぐに広まる。
ミティリーニの町から何キロ離れているのか知らないがモリアという村の外れにホットスポットと呼ばれる難民キャンプがあるようだ。ここでシリア人とアルジェリア人が大喧嘩してプレハブを燃やしたとか、、、夜にボートで付いた難民の中の何人かが水死したの不服としてボランティアさんの車を2台燃やしたとか、、、。アルジェリアは難民認定されていたっけ?それから黒人が結構いるのだが、なんでトルコからここに来るのか不思議。
この大理石像は海岸にある小さな広場に置かれている。9月もギリシャは灼熱なので、野良犬たちは朝の涼しい時間に広場で、集団ごろ寝をしている。
このカストロのある所は古代都市だったところである。古代ギリシャ、ローマ時代、ビザンティン時代、トルコ時代の遺跡である。このカストロの中にデメテール神殿がある。そのデメテール神殿を見るのがとても楽しみにしていた。で、見た!見たらデメテール神殿の上に、キリスト教会、その上にモスクのように、宗教的変遷があったようだが、現在は基礎部分が残る。基礎部分がデメテール神殿、そしてその材料で建てかえられていたのだった。その写真も撮ったので、そのうちご紹介したい。
この古代都市周辺はおそらく「ダフニスとクロエ」の物語の舞台なのだろう。
エレソスにも彫像があるのだが、何をモデルにしているのか、ちょっとわからなかった。海岸のエレソスはスカラ・エレソスと言い、ここに古代エレソスのアクロポリスがある。
毎年春夏になると、世界中から女性のカップルがやって来て、エレソスの海岸のカフェバーがいっぱいになる。もちろん家族連れの普通の人も来るし、まぁ、いろいろ面白いかもしれない。まぁ、ここは村だし、村人たちも最近慣れているようだ。お金を落としてくれる。村の農家の御婦人たちの持つペンションはいつもおなじみさんでいっぱい出し、いいかなぁと思っているのだ、おそらく。
古代エレソスのアクロポリスから現代にエレソス村と海岸がを撮影した。
詩人サッポーは毎日このあたりを歩いていたのだった。遠くに見える岩山のところもアクロポリスだという村のカフェバーの人が言っていた。ええソスには二つアクロポリスがある。しかし遺跡らしきものがある方のアクロポリスの上に行ってみた。
アクロポリスの上に二つの塔のようなものが残っている、これらは中世のものらしい。しかしその奥へ行くと、ドーム型の穴のようなものがあった。そして裾野周辺には古代の積石があちらこちらにあり、またテラコッタの破片が地面にたくさん落ちていた。
また古代の女性詩人サッポーのそして近年ではノーベル文学賞エリティスを生み出しています。
ここには中世には領事館が置かれ、その列強各国はその子女たちの学校を作っていました。