アテネ・アレア神殿の破風の彫刻類3点 |
Τα Γλυπτά από τα αετώματα του ναού της Αθηνάς Αλέας
The Sculptures from the pediments of the temple of Alea Athena
アテネ国立考古学博物館
Εθνικό Αρχαιολογικό Μουσείο της Ελλάδας στην Αθήνα
National Archaeological Museum of Athens
テゲアのアレア・アテナ神殿遺跡からの出土した彫刻家スコパスの作品は
ヒュギエイア女神の頭部彫刻のほかに3点ほどアテネ国立考古学博物館に
展示されている。
スコパスは紀元前395年頃 から紀元前350年頃の生没で、パロス島出身である。
ギリシャ語ではΣκόπας、ラテン文字ではScopas あるいは Skopasと書く。
この神殿の破風にはこの地の出身の(神話上の)人々をモチーフとした彫刻が飾られていた。
その1.西破風の兵士の頭部彫刻(紀元前350年ー330年)
Κεφαλή του νέου από το δυτικό αέτωμα
Head of Warrior from the west pediment
この兵士の頭部はアレア・アテナ神殿の西破風にあったものである。
西破風を飾っていた彫刻類はホメロスのイリアスの中のテーレポスの物語を描いた。この兵士の頭部彫刻はおそらくテーレポスであろう。テーレポスはテレポスあるいは現代ギリシャ語ではティレフォスである。
テーレポスは英雄ヘラクレスとテゲア王女アウゲーの息子。母はアウゲーはこのアテナ神殿の巫女であった。テゲア王族の血を引くテーレポスはミシュア(古代の小アジア・現トルコのアナトリア半島の北西部)という国の王だった。テ-レポスンのミシュア地方の国はテウトラニアとして出てくる。英雄アキレウスがトロイと間違えてテ-レポスの王国を攻撃した。ミシュア地方テウトラニア国カイコス川の戦闘においてアキレウスはトリネコの槍でテ-レポスの太ももに大きな傷を与えてしまう。アポロンの神託によると、その傷はアキレウスによって癒されなければ治らないという。話が長くなるので、中略して、アキレウスは槍の錆をとるとテーレポスは回復したのである。
詳細が知りたい方はこちらをどうぞ→テーレポス(Τήλεφος, Tēlephos)
パウサニアスによると神話とはやや違っていて、テーレポスは小アジアのミシュアへはアルカディア人を連れて移り住んで行ったという。
その2.東破風の青年の頭部彫刻(紀元前350年ー330年)
Κεφαλή του Πολεμιστής από το ανατολικό αέτωμα
Head of a Youth from the east pediment
神殿の東破風にはカリュドーンの猪狩りをモチーフとして描かれていた。カリュドーンというのは、ギリシャ西部のアイトリア(エトリア)にあった古代都市である。その猪狩りはギリシャ全土から勇者が集まって行われ、勝者は女狩人アタランテーである、アタランテーはアルカディア王イーアソスの娘であった。その猪狩りの様子をモチーフとした東破風の彫刻に飾られていた。残念ながらアタランテーの彫刻は出土してはいない。アタランテー( Ἀταλάντη Atalantē)
その3.東破風のいのししの頭部彫刻(紀元前350年ー330年)
Κεφαλή του κάπρου από το ανατολικό αέτωμα
Head of a boar from the east pediment
この猪の彫刻はの青年の頭部のそば空発見されたものである。