古代カルテアのアポロン神殿 ケア島 |
Kea - Ancient Karthaia -The Temple of Apollo Pythios
アポロン神殿
紀元前530年にカルテアのアポロン神殿は建立され、神殿の前面に6本のドーリス式円柱があった。その規模は、幅16.00メートル、長さ31.15メートル、高さ8.00メートルである。
神殿前に彫像台のようなものがたくさんあった。
神殿の階段 ここを上がったところにドーリス式円柱が6本並んでいたのだった。
階段をを上がったところから神殿脇の岩山の削った壁がが見える。
さて神殿内部にいよいよ入る。
神殿内部
神殿内部に石棺がいくつもあった。神殿が廃墟になってから墓地になった。
この石棺(サルコファゴス)は西暦6世紀から7世紀のものである。
石棺を包むように枯れ草がゆらゆら揺れていた。魂のようでちょっと不思議。
神殿北からの風景
神殿北から下界を見るとアクロポリスの斜面に数人の見学者がちらほらいる。
そして休憩場には誰もいなくなったようだ、見学者たちの馬4頭がいなくなったし、不安になった。何かあったら、ヘリコプターに救援呼ぶしかないので、足元に気をつけて歩かないとね。念には念を入れよと思う。
記念碑
このような形の記念碑が29枚ここに飾ってあった。ここあるのはレプリカである。
銘文は様々にカルテアで活躍した人たちのことが記述されていた。
代表的なのが紀元前3世紀のテオクレスという人物がカルテアのためによく奉仕したとある。オリジナルはケア考古学博物館にあるという。
テオクレスというのは日本語の翻訳カタカナだが、「手遅れっす」ではない。
カタカナ表記は難しいが、ギリシャ語ならテオクリスというかセオクリスのほうが近いかな。この名前の意味は「神の栄光」だから素敵だ。
ニッチ
岩肌をくり貫いたニッチという場所がある。ここにアポロン像があったのだ。1811年にそのアポロン像は発見されたという記録はあるが、その像が今にどこにあるのかは不明である。
神殿脇の通路
小さな岩山の壁とアポロン神殿の間にある通路である。雨の後は石の床がつるつるになる。
この岩壁を削って、神殿の材料になっているのかもしれない、
岩壁から石ころが落ちてきそうで、要注意である。
廃材
足跡が残っていて、どんな彫像が置かれていたのだろう。
これ本物だから漬物石に!ともっていくと罰金になる。
遺跡の廃材で、小屋が作れそうだ。石をゆっくりゆっくり積んで、何か出来そう。
貯水槽
ヘレニズム時代で北貯水槽跡である。
細道
アテナ神殿へ行く細道
アポロン神殿の海側の細道
古代カルテアの模型(ケア考古学博物館)
右の高いほうのテラスにはアテナ神殿、建物D、プロピュロンがある。
ちょっとプロピュロンが見えない角度の写真になってしまった。
左の海側のテラスにアポロン神殿がある。
古代カルテアはキクラデス諸島の中で繁栄した都市国家であり、貿易で栄えていたので、港もにぎやかだったという。その古代港の遺跡は現在海の中にある。