英雄ペルセウスのテラコッタの絵三枚 |
現代ギリシャではペルウスはペルセアスで、ダナエーはダナイで、そのような名前を持つ人々が住み暮らしている。
ペルセウスの神話をモチーフにした彫刻やテラコッタの皿や壷の絵として数多く残されている。
ここに三枚の古代に描かれた絵の写真があるのでここに掲載する。この三枚の絵を描いた画家の名前はあまり有名ではないというか、ギリシャの陶器類や彫刻類は絵画に持ち出されて、行った先の博物館に展示されまま、本に紹介されていることがあまりないので、その画家の名前を知る人は少ない。
この絵は紀元前5世紀ころの陶器に描かれたペルセウスとダナエの物語の場面が描かれている。この三枚はセリフォス考古学博物館の壁に飾ってあった写真を撮影してものである。
ダナエーは人類で最も美しい娘として、アルゴス王アクリシオスで、母はラケダイモーンの娘エウリュディケー(あるいはアガニッペー)の間に生まれた。
神託によると「アクリシオスは孫は生まれず、娘の産む息子によって殺される」というのであった。アクリシオスは娘のダナエーを聖堂の地下室に閉じこめてしまう。しかし大神ゼウスはそのことを知り、黄金の雨となって、ダナエーの膝に降りかかった。 そのシーンが描かれたのは下の絵である。
ダナエーと黄金の雨 紀元前470年頃
画家・トリプトレモス
レニングラード・エルミタージュ博物館(637)
しばらくして青銅の地下室でダナエーはペルセウスを産む。父のアルゴス王アクリシウスはこれを知り、娘と孫を箱に入れて川に流したのだが、箱は流れ流れてセリフォス島の海岸に打ちあがった。そこにセリフォス王ポリュデクテースの弟の漁師ディクテュスによって発見され救助された。
箱の中から出てきたダナエーと赤子のペルセウス 紀元前490年頃
画家・ガッラティン ボストン美術館(13200)
美しいダナエーの評判は島中の知れ渡りセリフォス王ポリュデクテースの知るところとなる。その頃にはペルセウスも成長し、邪魔だったので、ポリュデクテースはペルセウスにメドゥサ退治を命じる。メドゥサはゴルゴン三姉妹の一人で、三姉妹の中で一人だけ不死ではなかった。ゴルゴン姉妹は醜く、頭髪の一本一本が蛇であったの。誰でもその姿を見たものは石にされてしまうのだった。
ヘルメス神とアテナ女神の力を借りてメドゥサを倒し、その首を取った。その後でエチオピアの海岸に怪物の生贄として縛り付けられていたアンドロメダーを救った。怪物にメドゥサの首を見せたので、怪物は石になったのである。アンドロメダーはエチオピアの王女で、たいへん美しく、ペルセウスは妻として連れて行くことにしたのである。セリフォス島で待っている母ダナエーに迫るポリュデクテースにメドゥサの首を見せて石に変えてしまう。
ペルセウスはメドゥサの首をポリュデクテースに見せている場面
紀元前450年から紀元前440年頃 画家・ポリュデクテース、
画家の名前と横恋慕するセリフォス王と同じなので、えっ?と思ったのだが、。
ボローニア考古学博者館キニコ (325)
ペルセウスの神話を詳しく知りたい方は→ペルセウス
この英雄は神託どおりに祖父を殺害してしまう。
しかしながらこのペルセウスがミケーネを建設した。
そしてそのひ孫に英雄ヘラクレスが出る。
ペルセウスは絶世の美女の母ダナエーと絶世の美女の妻アンドロメダーを伴って、セリフォス島を後にして、ギリシャ本土のアルゴスへ向かうのだった。この世で最も美しい女性二人である。アンドロメダーはエチオピア人なので、肌の浅黒い女性であったのだろう。 ホメロスによると古代のトロイ王家もエチオピアの王家と婚姻関係を結んでいたことが書かれている。確かエチオピア王メムノーンが黒い兵隊を連れ、トロイ軍に味方するという話だった。再びホメロスを読んで置かないと!読んでも読んでも右から左に忘れてしまう。申し訳ない。
アフリカではなくトルコにあったようですよ。
そういえば、昔、偉い人がアラビア半島にエチオピアがあって、
対岸のアフリカのエチオピアも領土だったという話を聞いたことを覚えています。
しかし、ちゃんと聞いていませんでした。
その土地風になるのだと思います。
インドから来た神々も日本化してますからね。
それだけ愛されて、自分たちのものにしてしむのでしょうか?
神様の立場なら、それでもいいよ、というかもしれません。