サントリニ のアクロティリ遺跡 |
Σαντορίνη Ακρωτήρι Προϊστορική Πόλη
Santorini Akrotiri Prehistoric Town
サントリニのアクロティリは先史時代のもので、紀元前17世紀頃の地底火山の噴火により町ごと火山灰と石によって、覆い隠されてしまった。
19世紀後半に遺跡が発見され、1967年から正式な調査が始まった。
この遺跡から多くの出土品が出ているが人骨仮名か立ったので、火山噴火が起こる前に、この町を放棄し、どこかへ避難したのであろう。
アクロティリはエーゲ海の先史時代の重要な拠点であった。その広さは20ヘクタールという。
アクロティリの遺跡の写真を今整理しているところである。まだ分類が出来ていない段階であるが、写真を11枚上げておきたい。あとで出土品と共に遺跡を更新していきたい。
ウィキペディアのアクロティリの遺跡地図には紀元前1600年の青銅器時代のアクロティリとあった。→Akirotiri in the Bronze Age about 1600 B.C.
遺跡全体が大屋根で覆われている。その中で、地図と遺跡を見比べてもなかなかぴんと来ない場所もありますな。
石桶のようなものが転がっていた。
ベッドが二台、ここ寝室か?
いくつかの部屋のある家。地面に石のすり鉢があった。
町中の建物が極めてきれいに残っているところと古代の通りが見える。
アクロティリの遺跡といえば、この二つの建物と真ん中に道のある写真がよくガイドブックやパンフレットに掲載されている。
紀元前17世紀(あるいは紀元前16世紀)の人々が行き交っていた町を現代の人々が歩いている。
入り口の奥を見ると、そこに石ベンチのようなものがあって、大きな粘土のたらいのようなものがあった。
ピトスがたくさん置かれた倉庫のような建物があった。
このピトスという大きな壷は食料品などを保存していたものである。
アテネ国立考古学博物館の展示品の中にアクロティリの人々が食べていたものがあった。
ファバ、カタツムリ、など、、。
サントリニ島の火山噴火により大津波がクレタ島に押し寄せて、
ミノア時代に繁栄していたクレタ西海岸のざくろク宮殿は倒壊したのだった。