特別展「古典主義とヨーロッパ」アテネ国立考古学博物館 |
今年の8月27日から10月31日まで開催で、ギリシャとイタリアの古代の彫像類などが各地から集められて展示されいる。
イタリアに行かずにギリシャで見ることが出来たティランニキデス(タイラント暗殺者たち)、イピロス王ピュロスの彫刻があって、感動した。
ほかにビザンティン時代のイコン画やエル・グレコの絵画などもあった。
ローマ時代2世紀、ティヴォリのアドリアナ邸より出土 ナポリ国立考古学博物館
僭主暗殺者たちとはハルモディオスとアリストゲイオンの二人で 紀元前514年にペイシストラトスの息子のヒッパルコスを暗殺した。
アテナイ(アテネ)のペイシストラトスの息子の独裁者ヒッピアスとその兄弟のヒッパルコスは圧政を強いたために、それに耐えられなくなった人々が増えた。そしてハルモディオスとアリストゲイオンという人物によってヒッパルコスは暗殺されたのである。
複数 Τυραννοκτόνοι ティラノクトニと読む。
トにアクセントをつけて発音する、トーって伸びる感じ。
単数 Τυραννοκτόνος `ティラノクトノス
ギリシャ語でティラノス(τύραννος)は、英語でタイラント、日本語で僭主のこと。
そしてラテン文字の tyrannicide (単) と tyrannicides(複) は
ティラニキディ、ティラニキデスと読むのかな?
次の歴史上の人物について、そのうち勉強したい。
ハルモディオス( Ἁρμόδιος Harmodios)
アリストゲイオン( Ἀριστογείτων /Aristogeiton)
ペイシストラトスΠεισίστρατος / Peisistratos
ヒッピアス(Ἱππίας /Hippias)
ヒッパルコス (Ἵππαρχος /Hipparchos)
僭主暗殺者たち(ハルモディオスとアリストゲイオン)の彫像は迫力があって、たいへん印象に残った。
紀元前2700年から紀元前2300年、 ナクソス島より出土、アテネ国立考古学博物館
紀元前1450年、クレタ島のザクロス宮殿から出土、イラクリオ考古学博物館
紀元前460年、アテネのアクロポリスのパルテノン神殿南から出土 アクロポリス博物館
紀元前520年から紀元前510年、 アクロポリスのエレクテオンから出土、アクロポリス博物館
紀元前1世紀から西暦1世紀、発見場所は地中海出土、アテネ国立考古学博物館
この彫像はザールブリュッケンのエフィヴォスとも呼ばれる。 2002年にドイツのザールブリュッケンからアテネに戻されたものである。 エフィヴォスとは十代の少年のことである。
紀元前515年 ローマ・エルトリカン博物館(ヴィラジュリア博物館)
エウフロニオスというのは古代ギリシャのアッティカ地方に住んでいた陶器の絵付師である。その名前がこのクラテールに残ってた。 クラテールとはワインと水を混ぜるのに使われた大きな瓶のこと。
紀元前450年から紀元前400年、古代の難破船より出土、カラブリア・レッギオ国立考古学博物館
紀元前6世紀 ローマ ・カピトリーノ美術館
紀元前1世紀 ナポリ考古学博物館 ピュロスはヘレニズム時代のイピロス王
このピュロス像をずっと見たいと思っていたので、展示の中にあったときは感動した。
ピュロスはヘレニズム時代後半のイピロス王で、一時アンティゴノスマケドニアを征服したこともある。
この王の先祖はゼウス大神とアイギナ女神の息子アイアコスに始まり、英雄アキレウスとつながっていく。そのずっとあとにマケドニア王妃でアレクサンドロス大王の母のオリュンピアスも輩出している。このピュロスはオリュンピアスの兄か弟の子孫である。
わたくしはこのピュロスに非常に興味がある。彼のライバルであるマケドニア王ディミトリオス1世とよく戦争をして、マケドニアを制して、イピロス王に加えてマケドニア王と名乗ることもあった。
ピュロスの正妃でイピロスの女王と呼ばれたラナッサは跡取り息子を儲けながら、ピュロスがたくさん結婚するので嫌になって、ケルキラ島に住んでいたことがある。その島は豊かな島で、ラナッサのプリカ(嫁入り道具)として、持ってきたものである。彼女は正妃で イピロス女王の称号持つ。
しかしピュロスが次々に妻を迎えるので、嫌気がさしてしまったのだった。そして新しい妻たちをバルバロイ(野蛮人)の女とあきれていたのだった。
実際のところは、バルバロイではなくて、まぁ近隣国のお姫様たちだった。まぁ、権力者の結婚というのは政治なので、しょうがないのかなぁと思ったりもする。
そんなラナッサは、なんとピュロスが血みどろの戦いをやっている敵のアンティゴノス朝マケドニアのディミトリオス1世の結婚したのだった。
ディミトリオスは当時たいへんな美しい男として勇名だったらしい。でもこのマケドニア王にもたくさん妻がいたのに、ラナッサはどうして、と思った。
そんなラナッサだったが、ピュロス王との間に生まれたの息子はイピロス王アレクサンドロス2世となったのだった。 この夫婦、面白い!
ギリシャ神話もローマ神話も、深いところでは同じなようで違っているかもしれません。
ローマ人は自分たちの神々に合わせて、あの女神がローマのあの女神のことか、、、とか思って、命名したりしたのかな?と思います。
どちらの神話も実はその土地にいた大地母神だったのかもしれません。