古代スタゲイラ アリストテレス生誕地 |
Ancient Stageira-The Birthplace of Aristotle
ハルキディキ県アリストテレス自治体スタギラーアカントス地区オリンビアダ
Νομός Χαλκιδικής, Δήμος Αριστοτέλη, Στάγιρα-Άκανθος, Ολυμπιάδα
Prefecture of Halkidiki,Municipality of Aristotelis,Stagira-Akanthos,
Olympiada
古代スタゲイラ(スタギラ)は古代の哲学者アリストテレスの生誕地です。
アリストテレスは紀元前384年にスタゲイラに生まれ、
紀元前322年3月7日にエウボイア(エヴィア)島のハルキス(ハルキダ)死没しました。
アリストテレスはアテナイ(アテネ)のプラトン主催の学園アカデメイアで勉強しました。
そしてプラトンの死後はその学園を去ります。
マケドニアのフィリッポス2世から王子アレクサンドロスの教師として招かれ、
ミエザの学校で王子と貴族の子弟たちを教育します。
その王子がアレクサンドロス3世として即位したので、アテナイに戻りリュケイオンという学校を創設しました。
アリストテレスの詳細は→アリストテレス Ἀριστοτέλης
スタゲイラの歴史
紀元前655年のエーゲ海のアンドロス島に住んでいたイオニア人がこの地に入植し、スタゲイラという古代都市を建設しました。
紀元前480年にペルシアのクセルクセスに’この地は占領されます。
その後にスタゲイラはアテナイの統括するデロス同盟に参加しましたが、紀元前424年にその同盟から抜けてしまうと、紀元前422年にアテナイの扇動家クレオンによって、この地は包囲され、陥落しそうになりました。しかしクレオンは戦略家としての才能がなかったので、この包囲は失敗に終わります。
この失敗はアリストファネスの喜劇となってしまったようですが、、それについてはよくわかりません。
ぺロポネソス戦争のときのアテナイ対スパルタではスパルタ側についていました。
紀元前348年にマケドニアのフィリッポス2世に占領され、住民は奴隷とされましたが、
アレクサンドロス3世(大王)はアリストテレスのためにスタゲイラに新しく水道を引き、
新しい建築物、家々、神殿を二つを建設し、奴隷としていた旧住民を戻しました。
ホテルのスタゲイラの俯瞰図のついたパンフレットをもらいました。
上から見ると遺跡の様子が良く見えます。
パンフレットについていた遺跡の地図です。
今見ると、ゆっくり全体が理解できますが、行ったときは広いし、誰もいないし、
あせって見学したので、まったく何も見ていなかった!のでした。
現在修復中のところが多くて、ごちゃごちゃと地面にシートやらが置いてありました・
修復の人たちの作業が現在も続いていますが、見学は自由で、いつも開放されています。
この古代スタゲイラの遺跡に一番近い町がオリンビアダです。
ホテル・ジャーマニーというのかゲルマニアと言うのか分かりませんが、そこが一番近いホテルのようです。遺跡はオリンビアダの浜辺からも良く見えます。この海辺の町にはほかにもホテルがいくつかあります。
次回はスタゲイラのアクロポリスから順に記事を上げていきます。
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