アリストテレスの学校 ミエザ |
Σχολή του Αριστοτέλους στην Μίεζας
School of Aristoteles in Mieza
イマティア県ナウサ自治体レフカンディアーイスヴォリア
Νομός Ημαθίας,Δήμος Νάουσας,Λευκάδια, Ισβόρια
Prefecture of Imathia,Municipality of Nausa ,Lefkandia,Isovoria
マケドニアのミエザにアリストテレスの学校がありました。
紀元前紀元前347年マケドニア王フィリッポス2世はアレクサンドロス王子(のちの大王)の家庭教師としてアリストテレスを迎えました。そしてミエザのニンフェオン(ニンフの神殿)のあったところに学校を建設し、そこで王子アレクサンドロスのほかに貴族の子弟を数人が学びました。アリストテレス37歳、アレクサンドロス王子は13歳でありました。アリストテレスは将来のアレクサンドロス大王、エジプト王プトレマイオス、マケドニア王カッサンドロスを育成したのです。
マケドニアのスタゲイラで生まれたアリストテレスは17歳で、
アテネのプラトンのアカデメイアで学び、その後そこの教師となり、
37歳でミエザの学校でアレクサンドロスの教育を行い、
アレクサンドロス即位後、アテネに戻り、リュケイオンという学校を作りました。
このリュケイオンは現在はリキオで高校という意味になりました。
ニンフェオンはニンフの神殿のことですが、たいてい水源のあるところに建設されています。このニンフェオンの真下には小川が流れています。ニンフェオンはわずかに残っていますが、学校遺跡が残っていません。下の写真はニンフェオンの南側であります。

遺跡の中にはイオニア式の柱廊があったと看板に書いてありましたが、何もないのでわかりません。その柱の1本がどこかの博物館においてあるのかもしれませんが、証拠を見ないとね、そう思いました。

さて気になる洞穴を発見しました。洞穴の隣には階段が三段ありますね。

洞穴の上のほうを見ると、神殿の屋根のように削られれいるような感じがしますが、どうでしょう?

中を見ますとこのような感じであります。

北側にも洞穴があります。写真の柵の外のずっと下のほうに小川がさらさら流れています。

この洞穴の周囲に柵がめぐらされています。この洞穴の下の雑草に埋もれたところが地下のようになっていて、そこに階段がついているのです。まぁ階段というかひょっとしたら祭壇かもしれませんが、草ぼうぼうで撮影できません。草刈しても良いですけど草刈りがま持参で歩くわけにも行かないので、いい写真が取れなくて申し訳ありません。

南北に細長く広がったニンフェオンの間の写真です。
アリストテレス先生の学校の建物はなくなっていますが、地面にその跡が残っていました。
そしてニンフェオンが残っています。

このミエザという地名はニンフの名前はミエザから来ています。
この地方の古代神話によると、べレスという王がいて、三人の娘たちがいて、イマティア、ヴェリア、ミエザがいて、彼女たちはそれぞれの都市の名前になりました。ほかに息子オルガノスがいたのですが、彼は河神に変身して、この地の大地を潤しているのだそうです。

この陶製のライオンはニンフェオンの樋のところにあったものです。遺跡の看板の写真を撮影しました。

アリストテレスの学校の名残りはありませんでしたが、環境のよい場所なので、アレクサンドロスをはじめとする生徒たちは勉学にいそしむことができたのだろうと思いました。
お手間をかけて申し訳ありませんが
投票よろしくお願いします。
ギリシャ全土、くまなく廻られて尊敬いたします。
じっくり拝見させていただきたく存じます。
ペラ郊外「ミエザ」はそのうち絶対に行こうと思っている場所のひとつなのですが、きっとこの洞窟の中でもアリストテレスの授業はあったでしょうね。古代、洞窟は秘儀の伝授に用いられてきましたから。
もっとたくさん行っているのですが、勉強が嫌いなので、
写真を貯めています。クレタ島は50か60行きました。
アリストテレスも飲んでいた赤ワインを飲んでいます。
ワインはフランスが有名ですが、ギリシャには古代品種があります。
アリストテレスというのはギリシャ語で最高の結果或は最上の終わり方という意味です。
いい名前だなぁとしみじみ思います。今もそういう名前の人います。
遺跡があればどこへでも行きます。独りで歩きますが、古代遺跡のある山のかふもとまでは助手(おっと)に連れて行ってもらいます。



