アルシノエ2世の円形建築物 サモトラケ |
Σαμοθράκη 《Θόλος της Αρσινόης Β' /Αρσινόειον》
Samothrace 《Rotunda of Arsinoe II/Arsinoeion》
トラキア地方エヴロス県サモトラキ島パレオポリ
Νομός Έβρου Δήμος Σαμοθράκης ,Παλαιάπολη
Prefecture of Evros,Municipality of Samothrace ,Palaeopoli
紀元前288年から紀元前270年の間に「アルシノエ2世のトロス(円形建築物)」が建設されました。この建物は文字は同じΑρσινόειονですが、アルシノエイオン(古)、アルシノイオン(現)のどちらかで呼ばれています。
この円形建築物は直径が20.219メートル、高さが12.65メートルありました。
この建築物の石灰岩の基礎部分が今日に残っていますが、古代はこの上にタソス島産の大理石のエンタブラチュアがこの上に乗っていました。そのエンタブラチュアが二つはサモトラケ考古学博物館に展示されています。
この円形建築物の北にはアナクトロンがあります。アナクトロンというのはギリシャ語で宮殿という意味です。下の写真の海側に広がっているところがアナクトロンです。
そしてこの円形建築物に西の丘のほうにも遺跡が広がっています。
アルシノエ2世の生没
紀元前316年に生まれプトレマイオス王朝エジプトのプトレマイオス1世と
ベレニケ1世の長女として生まれ、紀元前270年から紀元前260年の間に没しています。
アルシノエ2世という称号
弟のエジプト王プトレマイオス2世と妻の女王アルシノエ1世を追い出して、
その後結婚してから付いたものです。
アルシノエの結婚
アルシノエの円形建築物ができた紀元前288年から紀元前270年の間のアルシノエの状態を調べました。
①アルシノエは紀元前301年の15歳のときに、59歳のトラキア・小アジア・マケドニアの王リシュマコス(360BC-281BC)と結婚し、その地の女王となり、息子3人プトレマイオス1世エピゴノイ、リュシマコス、フィリッポスを儲けましたが、紀元前284年に先妻の長子アガソクレスを謀略で死刑に追い込みました。すると各地に動乱が広がり、アガソクレスの妻リュサンドラがセレコウス1世の元に逃亡しました。紀元前281年、リュシマコス王はセレウコス1世(セレコウス朝シリア始祖)とコルペディオンにて敗死します。ちなみにリュサンドラはアルシノエの異母妹にあたります。プトレマイオス・ケラウノスの同母妹でありました。
②紀元前281年にエジプトを追われた異母弟のプトレマイオス・ケラウノスと結婚し、マケドニアを統治するが、対立を起こしていきます。アルシノエの息子3人のうちプトレマイオス1世エピゴノイは国外へ逃亡し、リュシマコスとフィリッポスはプトレマイオス・ケラウノスに殺害し、アルシノエをサモトラキケ島に追放されてしまいました。紀元前279年マケドニア王となったプトレマイオス・ケラウノスはガリア人に侵入されて、敗死してしまいます。
③サモトラケ島に追放されたアルシノエはエジプトのアレキサンドリアへ行き、両親を同じくするエジプト王プトレマイオス2世(309BC生–246BC没)に保護を求めました。そして王の妻アルシノエ1世を追い出し、弟と正式に結婚をして、アルシノエ2世となりました。何年に正式結婚したのかは分かりませんが、紀元前270年代のことであろうと思います。ちなみにアルシノエ1世というのは、アルシノエ2世の最初に結婚したリシュマコス王の娘であり、アルシノエ2世の義理の娘にあたります。しかしアルシノエ1世には子供たちがいて、次期王になる予定の息子もいたので追放されても安泰ではありました。
でも腹立つ仕打ちですわ。アルシノエ1世がかわいそう。父親の後妻に実家の王国が滅茶苦茶されて、兄は毒殺、その上、亭主まで取られて、、、そう思いました。
アルシノエ2世は実弟プトレマイオス2世と7歳ちがいです。
当時は異母兄弟姉妹で結婚することはありましたが、両親が同じで結婚したという話はありませんでした。それでプトレマイオス2世はΠτολεμαίος Β' ο Φιλάδελφος、プトレマイオス2世フィラデルフォス(ピラデルポス)と呼ばれました。フィロは愛、アデルフィは姉妹、アデルフォス兄弟という意味があります。姉を愛する男という意味なんでしょうかね?ちなみにアメリカのフィラデルフィアは兄弟姉妹愛の意味です。
この遺跡からエンタブラチュアが2種類と屋根の天辺の飾り物が出土されています。
その記事は次回に!
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