古代アブデラ |
Aρχαία Άβδηρα
Ancient Abdera(Avdira)
Θράκη-Νομός Ξάνθης-Δήμος Αβδήρων
Thrace-Prefecture of Xanthi-Municipality of Avdira
トラキ(トラキア)クサンティ県アヴデラ自治体
歴史
紀元前654年、小アジアの古代イオニア地方エーゲ海に面した都市クラゾメナイというところからトラキア地方のアブデラに移り住んだ人々よって、古代アブデラは建設されました。
イオニアと言えば、イオニアという地名から現代のアラブの人々はギリシャをユナンと呼びます。これはイオニアという言葉から来ています。イオニア、ヨニア、ユナンなのかな、、。
紀元前544年古代イオニア地方のテオスの住民がアケメネス朝ペルシアへの来襲でアブデラに移り住んきました。古代イオニアではテオスとクラゾメナイというのは隣接した都市でした。
しかしながら拡大するアケメネス朝ペルシアの勢力がアブデラまで及び、紀元前513年と紀元前512年に攻撃を受けました。紀元前492年にペルシアのダレイオス1世によってアブデラは占領されたこともあります。
アブデラはデロス同盟に加盟し、その中で三番目に豊かな都市だったので、この豊かな都市のお宝を狙う不届きな国々もありました。同盟を組んでも、豊か教養と平和主義でも、強い軍隊がないと平和維持は難しいのでありました。紀元前376年にはトリバリ人(トラキア人の一派で、ケルト人とスキタイ人とイリュリア人の影響を受けた人々)に略奪され、紀元前350年にはマケドニア王国、セレウコス朝シリア、プトレマイオス朝エジプト、ペルガモン王国よって、略奪行為が行われました。こんなに来襲されて、古代はよっぽど資産があったのですね。
その後の紀元前170年にはローマ共和制下になります。ビザンティン帝国下になり、トルコ・スルタン支配になり、ギリシャ独立によって、ギリシャになりました。
まぁ、現代のアブデラはただの寒村という感じでありますが、ギリシャ経済危機でも豊かな農産物が大地があるので、食べるには困らない場所かもしれません。
アブデラの有名人といえば、古代ギリシャの哲学者デモクリトス(紀元前460年頃-紀元前370年頃)で、彼は原子論を唱えました。
神話
アブデラという古代都市の創設者はヘラクレスであります。アブデラという名前はヘラクレスの親友のアブデロスから来ていています。アブデロスの出自についてはいろいろな説があり、まずヘルメス神の息子、二つ目はポセイドン海神の息子、三つ目にはアキレウスの親友パクトロスの兄弟、まぁほかにもあるかもしれませんが、わたくしの知るところはそのようなところであります。
トラキア王ディオメデスは軍神アレスの息子で、アレス軍神にもらったペットの「人を喰らう獰猛な馬」を飼っていました。トラキアを通過するとき旅人は獰猛な馬に喰われる事がしばしばおこり、世の人々を脅えさせていました。
ヘラクレスはトラキアに出かけ、この人喰らう獰猛な馬たちを生け捕りにしました。すると怒りのディオメデス王はこれを取り返そうと凄まじい戦いとなり、最後にヘラクレスが勝利しました。この戦いの最中に馬の番をしていた友人にして愛人の美しい若者はアブデロスは馬に喰われてしまいました。このアブデラの名前はそこから来ています。
遺跡の現状
古代アブデラ遺跡として残っているのは古代墓地とアクロポリスのデメテール神殿のようであります。その古代墓地はずっと公開されておらず、フェンスの外からの写真撮影しか出来ません。それで誰が撮っても、どう撮っても、同じ場面しか撮影できないのであります。
わたくしたちがネットで検索して見るアブデラの遺跡は古代墓地であります。
そしてさらに残念なことにアブデラ考古学博物館はすべての展示物が撮影禁止になっています。




一般人が遺跡の中に入るには年に一度の8月の終わりの頃の満月の夜だけです。
わたくしは偶然にも8月31日にアブデラ遺跡に行き、その日は満月なので、午後6時から遺跡の門が開くという話を考古学博物館で知りました。まったくもって千載一遇でありました!
しか~し、そこに遺跡の管理関係の人なのか誰なのか知りませんが、ある女性が遺跡内で一所懸命撮影しているわたくしに近寄ってきて、次のようにのノタマワッテくれました。
写真は撮影しても良いですが、あなたのように部分部分を細かく撮影するのは困ります!
つまり大雑把に全体的の撮影しろという指示というか命令でした。なんで?どういう法律?考古学の本の出版をするのはまだだから?
でも考古学博物館の素敵なオネーサンは遺跡の撮影がバッチリできるとうれしそうに教えてくれましたが、、統一見解ってないの?
下の写真の2枚はは午後6時です、8月のギリシャはではまだ日が沈まないので、満月が出るまで時間があります。


先ほど書いた誰だか分からない女性の出現でやる気が写真撮影する意欲がなくなりました。
もう一人の管理人の男性がたいへん親切で、ほかの遺跡の場所をアレコレと教えてくれてましたが、わたくしはすでに全部撮影したところばかりだったのでした。誰に聞いたの?とか逆質問されましたが、わたくしはにおいでわかるのよ!と答えました。
そしてわたくしはアクロポリスに行きたいのだけれどもどこから行くの?と聞いてみました。アクロポリスにはデメテール神殿があるとここで情報を得ましたが、二人ともずっと行ったことがないようでした。もう遺跡の最前線の人たちが、前向きでなかったら、前に進めないと思いました。
観光地アブデラの町おこしになるのになぁと思いました。デメテール神殿がアクロポリスにあるというのですが、草ぼうぼうで、管理する人というのか、地域の人がほとんど行ったことがないらしく、やる気、というものが感じられませんでした。なんか、かつ!をいれてやらんとだめですなぁ。
しかしながらビザンティン時代から中世の遺跡は公開されているので、興味のある人は自由に見ることができます。公開されているといって、その遺跡には誰もおらず、風の中、草木の中に、ひっそりあるわけです。
トラキア地方ロドピ県のコモティニ考古学博物館の中に
古代アブデラの発掘物が展示されていたものがありました。
①アブデラの古代墓地で発見された粘土製のサルコファゴス
具体的な年代は記述されていませんでした。

②紀元前5世紀 墓石の装飾

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ギリシアの神話や悲劇は舞台が
アテナイやテーバイやアルゴスが多いので、
トラキアと聞くとすごく遠い気がします。
現代でしたらアテネからの移動時間はどれくらいですか?
オルフェウス信仰の盛んだったところのようで、その形跡があればなぁと思いました。
オルフェウスの墓がなんでもブルガリアとギリシャの国境のロドピ山付近にあります。、
どうやらブルガリア側にあるようなので、どうやって行くのか研究中です。
移動時間は8時間くらい運転ぶっとうしという感じでした
彼にまつわる伝説の一つに、八つ裂きにされた彼の体がヘブルス川に投げ捨てられたというのがありましたね。今でも同名の川は存在しますか?
河口にオルフェウスの首が流れ着いたのでしたっけ? もし彼が埋葬されたとしたらその辺りかもしれませんが、昔の河口なんて今では山の中でしょうか(笑)。
オルフェウス信仰の形跡が見つかるといいですね。
彼は父親も母親も神なのですから、神様に列されるべきだと思います。
母が髪でなくても神となったディオニソスやアスクレピオスもいるので、
なんでかなぁといつも思います。何か深いわけでもあるのかなといつも思います。
オルフェウス否定がその秘密儀式としていますが、
部族問題、トラキア人気質もあるのかなと思っているところです。


