イストミアのポセイドン神殿 |
Ο Ναός του Ποσειδώνα στα Ίσθμια
The Temple of Poseidon at Isthmia
コリンティア県ルトラキ-アイイテオドリ共同自治体イストミア
Νομός Κορινθίας,Δήμος Λουτρακίου - Αγίων Θεοδώρων,Ίσθμια
Corinthia Prefecture,Municipality of Loutraki-Agioi Theodoroi,Isthmia,
古代イストミアにはポセイドン神殿とイストミアン・ゲームというオリンピックゲームと同じように重要なスポーツ大会が行われていました。そのスポーツの祭典についての詳細はこちらにありました。→イストミア大祭
この場所はコリントスに近いので同じ自治体に族していると思っていましたが、2011年の市町村合併でルトラキ-アイイ・テオドリという自治体に属しています。本土とペロポネソス半島にまたがっている小さな自治体の中にあります。イストミアはコリントス地峡(イストモス)を渡って、ぺロポネソス半島にあります。
イストミアのポセイドン神殿は紀元前7世紀に建立され、その後3回ほど修復と増築が行われています。
ポセイドン神殿の西側を撮影しました。
神殿の跡は地面に残っているだけでうわ物はなくなっています。円柱類がいくら風化したとしてもこのようにすっかりなくっているのは、やはりどこかに廃物利用されているのだろうと、容易に想像がつきますね。わたくしが笛を吹けば石が戻ってきてもとの神殿になるといいのですが、、そのようなことは、まったくないので、残念です。
同じ西側の写真ですがちょっと大きく撮影してみました。
博物館側に円柱が1本の残っていました。ひょっとしたらもっとあったのかもしれませんが、これしか気がつきませんでした。
北西から斜めに撮影すると南側に博物館があります。この遺跡は博物館の中を通過して見学できるようになっています。
東側から撮影するとこのような感じです。
遺跡看板にあった遺跡地図です。
地図にはポセイドン神殿の南側にパライモン神殿があるのですが、ロープが張ってあって中に入れませんでした。このごろあちらこちらの遺跡ではロープなど張ったりしてケチクサイワァと思うことが多いです。ここは監視員が暇なのでよく監視されてしまいました。またいつかそのうちイストミアに行きたいと思っています。
パライモン神殿というのはボイオティア王子アタマスとテーバイ王カドモスの娘イノーとの間に生まれた息子メリケルテスを祭ったところであります。ディオニュソス酒神を育てたイノーはヘラ女神の恨みを買ってしまいました。夫アタマスはイノーとの息子レアルコスを白い鹿と間違えて殺し、狂ってしまいます。アタマスは次に妃であるイノーともう一人の息子メリケルテスをも殺そうとします。逃げ切れないと思ったイーノーはもう一人の息子メリケルテースを抱いて海に身投げをしてしまいました。そのメリケルテスの遺体はコリントスに流れ着きました。それをシ-シュフォスが見つけてコリントス地峡に埋葬したのでした。その供養としてイストミアン・ゲームが開催されたという伝えがあります。
ゼウス大神はイノーをレフコティアという名前の女神とし、メリケルテスをパライモンという海神にしたのです。海の神の王はポセイドンで、その隣に同じく海の神の水夫の守護をする神として、この地に並んで神殿があるわけです。
ポセイドン神殿の周辺にあったものを撮影しました。
これは神殿屋根の下あたりでしょうか。、ライオンの彫刻がされています。
松の木の下に廃材が置かれていました。
ポセイドン神殿の南側の博物館下に石箱がありました。サルコファゴス(石棺)ではなさそうです。水入れだったのでしょうか、、それともバスタブ、、何か気になりますが、なんだかわかりません。
遺跡看板の写真にポセイドン神殿の建立の変遷の図があったので掲載します。
アルカイック時代
古典時代~ヘレニズム時代意
ローマ時代
西暦2世紀ごろ
このポセイドン神殿の彫像は残っていませんが、ここに安置されていた彫像類はポセイドン海神、アンフィトリテー女神、パライモン神、いるかだったようです。博物館に残っているのはアンフィトリーテー女神の彫像の断片だけでした。
一富士二鷹三茄子
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