アルタの聖テオドラ教会 |
Η Εκκλησία(Ο Ναός) της Αγίας Θεοδόρας
The Church of Agia Theodora(Saint Theodora)
アルタ県アルタ市オドス・ヴァシレオス・ピル(ピュロス王通り)
Νομός Άρτας - Δήμος Άρτας - Οδός Βασιλέως Πύρρου
Arta Prefecture-Municipality of Arta -Vasileos Pirrou Street
13世紀に聖テオドラ教会は建立されました。
当時はこの場所には修道院があり、イピロスの君主ミハイル2世の妃テオドラが隠遁生活を送っていました。テオドラ妃の死後、その息子のニケフォロス1世によって、テオドラ妃の墓がここに建設されました。
修道院はなくなっていますが、テオドラ妃の名前のついた教会だけになりました。
テオドラは父はイオアニス・ペトラリファスという貴族で、マケドニアとテッサリアの支配をしていました。彼女は1210年にその娘としてセルビアに生まれました。そこも彼女の父の支配するところでした。
しかし12歳のときに父が亡くなって、イピロス君主テオドロス1世コムネノス・ドゥーカスの下で暮らすようになります。のちも1231年にその息子のミハイル2世の妃として迎えられました。
しかし、ミハイル2世は側室を寵愛し、テオドラ妃を身重のまま追放してしまいました。このときお腹の中にあったのがニケフォロス1世でありました。両親を失ってしまったテオドラ妃は帰るところもなく、プリニッツァ村の司祭に助けられ、5年間の忍耐生活をおくりました。
そのうちにアルタを中心とする領民の顰蹙をかうことになります。
ミハイル2世はそのことを悔い改めて、またテオドラは宮殿に迎えられ一緒に暮らすようになりました。
その後にまた4子女を儲けました。ちなみに側室から男子がふたりいます。
テオドラは聖人に数えられ、毎年3月11日は聖テオドラのお祭りが行われています。
テオドラ妃の夫ミハイル2世はアルタの町が見えるヴラヘロナ修道院の教会内に
息子のニケフォロス1世とともに永眠しています。
ところで村の人は、今現在のギリシャ人たちはイピロス君主を普通にヴァシリアス(βασιλιάς)、その妃をヴァシリッサ(βασίλισσα)と読んでいます。王と女王ですが、、、この君主をなんて読んでいいのか分かりません。専制君主の意味でデスポティス(δεσπότης)という地位だったようですが、ぴんときません。
歴史観が時代観も違うし国柄も違うし、、日本語の中だと印象だと何か違うので困りました。
言葉の成り立ち!コレ大きいです。
お手間をかけて申し訳ありませんが
投票よろしくお願いします。
にほんブログ村