古代カイロネイア |
Αρχαία Χαιρώνεια (アルヘア・ヘロニア)
Ancient Chaironeia(Chaeroneia)
ヴィオティア(ボイオティア)県ヘロニア共同自治体
Νομός Βοιωτίας,Δήμος Χαιρώνειας
Viotia(Boeotia)Prefecture, Chaironeia Municipality
カイロネイアの歴史は出土品から先史時代から始まっていたようです。
紀元前6世紀までオルコメノスの領土でした。
そして紀元前5世紀後半にはオルコメノスから独立して
ボイオティア同盟の11都市のひとつになっていました。
紀元前338年にこの地で「カイロネイアの戦い」という歴史に残る戦争がありました。
このカイロネイアのライオン像は霊廟の下に
テーバイ軍で最も精鋭な神聖隊300兵のうちの戦死した254兵が埋葬されました。
カイロネイアの戦いはフィリッポス2世の率いるマケドニア軍とアテネ・テーバイ軍の戦いでした。
このとき18歳のアレクサンドロス王子(後の大王)も参戦し指揮をとっていました。
マケドニア軍の兵力歩兵30,000、騎兵2000でした。
それを迎え撃つアテネ・テーバイ軍の指揮官はアテネのカレス(ハリス)、
そして同じくアテネのリシクレス、テーバイのテアゲネスでした。
アテネ・テーバイ軍の兵力は35,000で、戦死者が2000で捕虜が4000でした。
この戦争で、テーバイは神聖隊(300)という最も精鋭部隊を投入し、
245兵が戦死し、その遺体はこのライオン像の下の埋葬したのです。
フィリッポス2世の王子アレクサンドロスによってギリシャ語を話す人々の統一国家ができ、
さらにその後は他民族を抑えて、マケドニア帝国になっていきます。
日本の高校世界史の教科書によると、アレクサンドロス大王からはじまる200年をヘレニズム(BC300-BC100)と言います。日本からも一応世界史の教科書を取り寄せています。
ヘレニズムはギリシャ語ではエリニスモスと言います。
ヘレネス(エリネス)とはギリシャ人のことであり、
その人々がおりなす文化をエリニスモス(ヘレニズム)と言います。
このライオン像はずっと地中に埋まっていました。
1809年に英国貴族バイロン卿がイオアニナからの帰りにをここ訪問し、
ライオン像の破片をいくつか発見しています。
1818年に英国人旅行者クロフォード氏が頭の部分とその他の破片を発見しましたが、
再びそれらを地中に埋めてしまいました。
その後トルコのスルタンがこのライオン像をコンスタンチノポリに欲しいと言い、
またイオアニナのライオンと呼ばれたアリ・パシャもこのライオン像を欲しいと言いました。
しかしこのライオン像を運ぶことが非常に難しいのでやめてしまいました。
1834年に修復計画が持ち上がりましたが、たち切れとなってしまいました。
1879年に考古学協会によってライオン像の下から254体の遺骨が発見されました。
1902年にこのライオン像の修復が始まりました。
彫刻家のフィタリス氏とソホス氏の協力を得て、無くなった所の部分の石は
ヒニアとリヴァディアから調達して現在のような形になりました。
この記念碑はライオン像の5.5メートル、台座は3メートル、全長8.5メートルの高さです。
1998年年から2000年の間にライオン像の表面をきれいにして、
モルタルでもう一度修復しています。
カイロネイア考古学博物館はライオン像の右に隣接しています。
この博物館、いつ開いているのだろう?ずっと閉まっている感じです。
博物館の庭に古代建築物の廃材や墓石などが置いてありました。
カイロネアの発掘物といえば、
アテネ国立考古学博物館にカイロネイアのアフロディーテー小像があります。
以前に書いた記事ですが、その写真などは、こちらでご覧ください。
→カイロネイアのアフロディーテー女神の小像
カイロネイアの劇場の時代は資料がなくてわかりません。
この場所はライン像からずっと離れていてオリーブ畑の中にありました。
看板があるので分かります。この岩山の上がアクロポリスのようです。
左上のほうにギリシャ国旗と城壁が少し見えます。
劇場の観客席は岩肌を削って作られています。
この付近に泉があったのですが、見過ごしてしまいました。
このカイロネイアの遺跡はほかにもあります。
ヘラクレス神殿と古代泉とローマ時代の公衆浴場とプルタルコスの石椅子です。
見忘れたのではなくて、ここを見学に行った時にそういうものがあるのを知らなかったのです。
あとになって分かって、また行こうと思うのでした。
カイロネイアはプルタルコスの出身地として知られています。
→→プルタルコス
ギリシャ神話によるとカイロネイアの古名はアルネで、
アイオロスの娘のアルネからつけられていました。
その後アポロン神の息子カイロン(ヘロン)からつけられたとあります。
カイロネイア(Chaironeia)は現代ギリシャ語ではヘロニア(Χαιρώνεια)です。
ギリシャ語のΧ(小文字χ)はh発音に近いです。
ラテン文字にする時CH(ch)に置き換えられます。
英語で読んだらチャイロネイアになったりして、、。