古代ダウリスのアクロポリス |
Αρχαία Δαυλίς (Δαύλεια)
Ancient Daulis (Daulia)
ヴィオティア(ボイオティア)県ダヴリア共同自治体
Νομός Βοιωτίας,Δήμος Δαύλειας,
Viotia(Boeotia)Prefecture,Daulia Municipality
ダウリスは古代フォキス地方にあった都市ですが、
現代はヴィオティア(ボイオティア)県に属し
ダヴリアと呼ばれています。
ダウリスというのはこの地住む水の妖精の名前で、
その父は川の神ケフィソスの娘であるそうです。
そういえば今でもこの地にはいくつもの湧き水が引かれた泉が町中にありました。
またほかには森のダウラ(現ギ・ダソス)から来ているとか、、、、ありますね。
ダウリスの遺跡は現在のアクロポリスのわずかな城塞だけのようになっています。
この城塞の門のようなところ残っている以外はめぼしいものはありませんでした。
ほかに神殿のようなものはあるのかと思いましたが、ありませんでした。
アクロポリスの入口、あるいは門の左の部分の壁は大きな切石が積まれています。
こちらは古代のまま残っているのかもしれません。時代についてはわかりません。
そして右の部分は小さな石で壁ができています。
なんとなく中世に積まれた風な感じですね。
アクロポリスから門のところを撮影しました。
西日がさしてよく撮影できませんでしたが、上から見るとこのような感じです。
アクロポリスから現代のダヴリア(ダウリス)が見えます。
この町中に泉がいくつもあります。水の妖精ダウリスはこの地の人たちに
美味しい自然水をお与え続けておられるのです。
神話によると、この地は軍神アレスの息子のトラキア王テレウスの生誕地であります。
参考資料→→テーレウス
テレウスはアテナイ王パンディオンの娘プロクネを妻として
イテュスという息子を儲けました。
そしてプロクネにはフィロメラ(ピロメラ)という妹がいて、
テレウスは無理やりに関係を持ちました。
彼はフィロメラがそのことを言わないように舌を切ってしまいます。
このことを知ったプロクネが怒り、なんと息子のイテュスを料理して、
それをテレウスに食べさせてしまいます。
怒ったテレウスは斧を持ってこの姉妹を追いかけてやってきたのが、
このダウリスでした。
そして、この地に着いた途端に、姉妹もテレウスも鳥になってしまいます。
プロクネは子殺しを悔やんで鳴くサヨナキドリ(ナイチンゲール)に、
フィロメラは鳴き声をあげないツバメに、
テレウスは頭にヘルメットをつけたようなヤツガシラという鳥になります。
参考資料→→ヤツガシラ
パウサニアスによると、
人々のいう事にはダリウスのツバメは卵も産まないし巣も作らないのは、
フィロメラツバメになってもなおテレウスを恐れているからだそうな。
またこの地にはアテネ神殿があり、
プロクネがアテネから持ってきたアテナ女神の木造彫像があったそうな。
歴史的にはダウリスは何度か戦争で破壊されたことがあります。
最初は紀元前480年のペルシア戦争で都市が破壊され、
2度目は紀元前395年にテーバイによって攻撃を受け、
3度目は紀元前346年に第3次神聖戦争でフィリポス2世のマケドニア軍が
フォキスを来たときに制圧され、
4度目は紀元前220年にアエトリア人に攻撃され、
5度目は紀元前198年にローマ軍によって軍事目的で占領されたことがありました。
ちなみにフィリポス2世は幼少の頃テーバイの人質だったようです。
そして彼はアレクサンドロス大王の父であります。
さて、アテネ女神の神殿はどこに!?
草木深くどこにあるのかわかりませんでした。
岩波文庫のパウサニアスのギリシア案内記のある写真のような遺跡は見つかりませんでした。
その文庫本の写真にはアテネ神殿の再利用された教会の遺跡が載っていましたが、
ダウリスのアクロポリスでは見つかりませんでした。
それから19世紀の頃に書かれた遺跡の絵にはアテナ神殿は描かれていないので、
いったいどうなってるんだろう?と思いました。
まぁそのうち明らかにしていきます。
下の写真は遺跡を下りた付近です。このような道を歩きます。
アクロポリスの城壁は正面から見るとこれだけ残っています。望遠で撮影しました。
この上にいたときは足元から下のほうなので撮影できませんでした。
ダリウスのアクロポリスはこの山の上にあります。
コンクリートと砂利道でしたが、車で遺跡前まであがっていくことができました。
このアクロポリスの上を歩くと、古代の石が枯れ草の中のあちらこちらに
見つけることができます。またダウリスに行けますように!