レウクトラのトロペオ(トロフィー・勝利記念碑) |
Τρόπαιο στα Λεύκτρα
Trophy at Leuctra
ヴィオティア(ボイオティア)県プラテエス共同自治体レフクトラ(レウクトラ)
Νομός Βοιωτίας,Δήμος Πλαταιών,Λεύκτρα
Viotia(Boeotia)Prefecture,Plataies Municipality,Leuktra
紀元前371年のレウクトラの戦いで、ボイオティア軍の勝利の記念碑が建てられました。
ギリシャ語でトロペオ(英・トロフィー)と言います。
紀元前371年のレウクトラにおいて、テーバイを中心とするボイオティア(ヴィオティア)と
スパルタを中心としたペロポネソス同盟の間で戦争がありました。
その戦いではエパメイノンダスの率いるボイオティア同盟が勝利しました。
エパメノンダスはテーバイの貴族の家に生まれた政治家で、
のちにテーバイを中心とするボイオティア地方の都市国家を連合して、
ギリシャ世界に台頭してくるスパルタ王クレオンブロトス1世のペロポネソス同盟に対抗します。
そしてレウクトラにおいてエパメノンダス将軍のボイオティア軍は勝利し、
スパルタ王クレオンブロトス1世は戦死しました。
ボイオティア軍の戦力は重装歩兵6,000~7,000と騎兵1500名で、
ペロポネソス軍の戦力は重装歩兵10,000~11,000と騎兵1000ということです。
この戦いで勝利できたのはテーバイの神聖隊の投入にありました。
この神聖隊は50組300名で成立された同性愛で結ばれた者たち戦隊でありました。
レウクトラの戦いについて詳しいサイトは下記をご覧ください。
→→レウクトラの戦い・ウィキペディア
→→エパメノンダス
→→スパルタ王クレオンブロトス1世
→→神聖隊
古代の政治家とか貴族いうのは軍人であり哲学者なので、
口ばっかりな人、お金ばっかりの人は、上の立てませんでした。
古代は口先政治家、贈賄政治家なんて、まず政治家になれませんでした。
さらに古代の政治家というのは人格も体力も知識もある人々で、
その中からさらに優れたものがリーダーになれたのでしょう。
そして国のために人のために命を捨てられる覚悟がないとできません。
そういう気概が現代の政治家に欠落しているので、
平和なのに国家が混迷してしまうのでしょう。
レウクトラの戦い(Μάχη των Λεύκτρων=マヒ・トン・レフクトロン)と言います。
レウクトラは現代ギリシャ語ではレフクトラです。(その時代もひょっとしたらレフクトラと発音されていたかもしれません。)
現代のレウクトラの村が遠くに見えます。小高いところにある村ですが、
ここに住む人々は古代から農業を続けてきた人々です。灌漑用水も発達していますが、
古代と同じように平野は麦の海のように広がっています。
下の写真は春先に撮影した写真です。
さて、私はチーム・アルカディアに入っており、遺跡見学会の調整役になりました。
この中にギリシャ人が入っているので便利です。
このレウクトラではありませんでしたが、ほかの場所では、
なぞの東洋人が100年以上も前に発掘されて終了した遺跡に行くとき、
どこからか警察官や村の誰かが様子を見に来ることがあります。
まぁいろいろな事情で、よそから来た人は警戒されたりもします。
私のほうも、農作業、羊飼いが外国人だったりするので、びっくりすることもあります。
田舎だから安全ということはありません。
また数日前に国境を歩い越えて来た外国人が歩いていたりするかもしれません。
山奥の遺跡を歩く時もけっこう緊張します。
お手間をかけて申し訳ありませんが
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