ビザンチン時代のパリオ・ピリの城(要塞) |
Κάστρο του Παλιού Πυλιού
Castle of Palaio (Old) Pyli
コス島ピリ・・・Κως Παλιό Πυλί・・・Kos Palaio Pyli
パリオというのはギリシャ語で古いという意味があります。
Παλιός パリオス(男性形)、Παλιά パリア(女性形)、Παλιό パリオ(中性形)
このパリオ・ピリ(古いピリ)に対して、新しいピリはネオ・ピリと言います。
11世紀のビザンチン時代の城の遺跡は遠くで見るだけで充分と思っていましたが、
行ってみると、やっぱり頂上のところまで行きたくなりました。
舗装道路はありますが、バスが来ていません。
来るにはレンターカーでしか来られません。
夏休みの観光客たちも20日間もコス島にいるとなると、
毎日午前中は遺跡を見て歩いて、午後から水泳をします。
もうしらみつぶしに島中の遺跡をめぐるようです。
この建物は、教会のような感じですが、しまっているのでわかりません。
さらにこのような石の崩れかかった階段道を上ります。
上のほうに民家と小さなドーム型の建物が見えます。
このドーム型の建物は中世のオーブンいわゆるかまどです。
周辺には崩れた石の家が、ごろごろ、ありました。
お城はさらに上のほうにあります。
城はひとつなのですが、上っていくともうひとつ峰があリ、
そちらには喫茶店があるらしいのですが、
こんな辺鄙なところでコーヒーもないだろう!と思います。
ずっと上って右に峰が見えても行かずに、左へ上っていきます。
やっとこすっとこ、このような階段が出てきました。城へ入る門がこの上にあります。
いったいどのような人たちがビザンチン時代にすんでいたのでしょうか?
ビザンチン時代の後の中世になって、聖ヨハネ騎士団が、ここを要塞として、修復したようです。
ビザンチン時代の門がが上のほうに見えてきました。
ギリシャ文化省のビザンチン時代の門と書かれた看板の横から、下界を撮影しました。
門をくぐりました。
階段上に、窓のようなものがあります。ここで下から来る人間の顔が見えます。
さらに崩れた階段を上って頂上へ行きます。
頂上に着くと、このような感じの建物が、幾棟かあります。
この中は狭く天井が低い部屋ですが、入ると涼しいです。。
ここは武器庫だったのでしょうか?
中世は聖ヨハネ騎士団が管轄していたというので、そう思いました。
この壁に、ところどころ穴が開いています。
そこから銃撃、砲撃ができるように、してあります。
外側からも見えるでしょうが、内側だとさらに敵の動きが良く見えます。
長い年月が流れて、城の天井は崩れて、このように、空が見えます。
この山城の下にはコス島の村人が住んでいました。
今は廃墟になりましたが、その子孫はネオ・ピリ(新しいピリ)に住んでいます。
古代からですが、人々山の上に住んで、異民族、海賊や盗賊が来たら
助け合えるように、暮らしていたのでしょう。
それで、要塞の中に村があったりするわけです。
さて、ひざがガタガタして、上りより下りのほうが、疲れました。
疲れましたが、また来れますように!とお願いしながら、戻っていきました。
ここに来た最大の理由は、この付近にデメテール神殿があると聞いたらからです。
見つからなかったので、再度、ここに来たいと思いました。
きっと来れるような気がします。
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歴史の古さを感じます
村民の家の跡もあったりしました。