2022年 05月 12日
アイアスとヘラクレスの聖域 紀元前4世紀 |
紀元前4世紀 アイアスとヘラクレスの聖域
Ιερό Αίαντος και Ηρακλέους 4ος αιώνας π.Χ.
Sanctuary of Aias and Herakles 4th century BC
フィロパプウの石畳みの道のそばに、二人の伝説上の大英雄アイアスとヘラクレスの合祀された聖域があります。この遺跡を偶然に見つけて感動しました。

この聖域はフィロパプの丘とニンフの丘の真ん中の石畳みの道沿いにあります。
その道はコイリ通りというのですが、正しい道名を知る人は少ないです。
だからギリシャ人には、
フィロパプのアギオス・ディミトリオス教会はどこか?
を聞くと良いと思いますよ。その真後ろにあるので。
地元の人なら、アイギス・ディミトリオス教会のことは誰でも知っているのですが、
残念ながらアイアスとヘラクレスの聖域を知りません。
その遺跡は教会の後側にありますが、一般の人はこれを見過ごしてしまいます。
遺跡の名称が書かれた大理石 「コイリの道の聖域」

Παρόδιο Ιερό Κοίλης 大文字→ΠΑΡΟΔΙΟ ΙΕΡΟ ΚΟΙΛΗΣ
Sanctuary by Koile Road 大文字→SANCTUARY BY KOILE ROAD
書かれているのは日本語だと、コイリの道の聖域、という意味です。
まぁ、コイリの道端聖域、そのように訳しても良いかもしれません。
遺跡の名前がアイアスとヘラクレス聖域とは書かれてはいないのが残念です。
ギリシャ神話や考古学の好きな人は見逃がしたくないところかもしれません。

◎アイアスについて
アイアスというのは大アイアスと一般的に知られる英雄で、
トロイ戦争に出かけて行ったアキレウスに次ぐ強さを誇っていました。
彼は英雄アキレウスの従兄弟にあたります。
さらにアイアスを詳しく言うと
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版
サラミス王テラモンTelamōnの子。巨大な体軀の持主で,大アイアスとも呼ばれる。武勇一点張りの闘将として,つねにギリシア軍の先頭に立って奮戦,しばしばトロイア軍の総大将ヘクトルと闘った。アキレウスの死後,その遺品の武具をめぐってオデュッセウスと争い,それがオデュッセウスに与えられたとき,憤慨のあまり発狂した彼は羊群を仇と信じて殺戮(さつりく)したが,正気に戻ってからみずからの行為を恥じて自害した。
→アイアスとは - コトバンク →https://ja.wikipedia.org › wiki › 大アイアース
◎ヘラクレスについて
ヘラクレスはギリシャ伝説上の最大の英雄であり、アイアスよりも年上で、
古い時代の英雄であります。
さらにヘラクレスを詳しく言うと→出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版
ギリシア伝説における最大の英雄。その名は〈ヘラ女神の栄光〉の意。ラテン名ヘルクレスHercules。そこから英語ではハーキュリーズ,フランス語ではエルキュールという。ゼウスがアンフィトリュオンAmphitryōnの妻アルクメネAlkmēnē(二人とも英雄ペルセウスの孫)に生ませた子で,彼がテーバイの地で生まれようとした日,ゼウスは妃ヘラに,今日生まれるペルセウスの後裔はアルゴスの支配者となろうと語った。→コトノハバンクのヘラクレス → ヘーラクレース - Wikipedia
ちなみに古代ギリシャの歴史上の王はヘラクレスの血を引くものたちでした。
ペルシア戦争を戦ったスパルタ王レオニダスは300人を率いて戦い抜きました。
当時のギリシャの人々はその戦いぶりから、ヘラクレスの再来、本当に信じました。
その後のアレクサンドロス大王は父のフィリポスはマケドニア王族でヘラクレスの子孫であり、母のオリンピアスはイピロス王族でアキレウスの子孫でありました。

動画も作ってみました。
紀元前4世紀 アイアスとヘラクレスの聖域 アテネのフィロパプウ
なんかもう、コロナ騒動以降は外出が苦痛になりました。
世界が平和になって、誰もが世論込んで暮らしていける環境になりますように!
そんなふうにいつも思っています。
Ιερό Αίαντος και Ηρακλέους 4ος αιώνας π.Χ.
Sanctuary of Aias and Herakles 4th century BC
フィロパプウの石畳みの道のそばに、二人の伝説上の大英雄アイアスとヘラクレスの合祀された聖域があります。この遺跡を偶然に見つけて感動しました。

この聖域はフィロパプの丘とニンフの丘の真ん中の石畳みの道沿いにあります。
その道はコイリ通りというのですが、正しい道名を知る人は少ないです。
だからギリシャ人には、
フィロパプのアギオス・ディミトリオス教会はどこか?
を聞くと良いと思いますよ。その真後ろにあるので。
地元の人なら、アイギス・ディミトリオス教会のことは誰でも知っているのですが、
残念ながらアイアスとヘラクレスの聖域を知りません。
その遺跡は教会の後側にありますが、一般の人はこれを見過ごしてしまいます。
遺跡の名称が書かれた大理石 「コイリの道の聖域」

Παρόδιο Ιερό Κοίλης 大文字→ΠΑΡΟΔΙΟ ΙΕΡΟ ΚΟΙΛΗΣ
Sanctuary by Koile Road 大文字→SANCTUARY BY KOILE ROAD
書かれているのは日本語だと、コイリの道の聖域、という意味です。
まぁ、コイリの道端聖域、そのように訳しても良いかもしれません。
遺跡の名前がアイアスとヘラクレス聖域とは書かれてはいないのが残念です。
ギリシャ神話や考古学の好きな人は見逃がしたくないところかもしれません。

◎アイアスについて
アイアスというのは大アイアスと一般的に知られる英雄で、
トロイ戦争に出かけて行ったアキレウスに次ぐ強さを誇っていました。
彼は英雄アキレウスの従兄弟にあたります。
さらにアイアスを詳しく言うと
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版
サラミス王テラモンTelamōnの子。巨大な体軀の持主で,大アイアスとも呼ばれる。武勇一点張りの闘将として,つねにギリシア軍の先頭に立って奮戦,しばしばトロイア軍の総大将ヘクトルと闘った。アキレウスの死後,その遺品の武具をめぐってオデュッセウスと争い,それがオデュッセウスに与えられたとき,憤慨のあまり発狂した彼は羊群を仇と信じて殺戮(さつりく)したが,正気に戻ってからみずからの行為を恥じて自害した。
→アイアスとは - コトバンク →https://ja.wikipedia.org › wiki › 大アイアース
◎ヘラクレスについて
ヘラクレスはギリシャ伝説上の最大の英雄であり、アイアスよりも年上で、
古い時代の英雄であります。
さらにヘラクレスを詳しく言うと→出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版
ギリシア伝説における最大の英雄。その名は〈ヘラ女神の栄光〉の意。ラテン名ヘルクレスHercules。そこから英語ではハーキュリーズ,フランス語ではエルキュールという。ゼウスがアンフィトリュオンAmphitryōnの妻アルクメネAlkmēnē(二人とも英雄ペルセウスの孫)に生ませた子で,彼がテーバイの地で生まれようとした日,ゼウスは妃ヘラに,今日生まれるペルセウスの後裔はアルゴスの支配者となろうと語った。→コトノハバンクのヘラクレス → ヘーラクレース - Wikipedia
ちなみに古代ギリシャの歴史上の王はヘラクレスの血を引くものたちでした。
ペルシア戦争を戦ったスパルタ王レオニダスは300人を率いて戦い抜きました。
当時のギリシャの人々はその戦いぶりから、ヘラクレスの再来、本当に信じました。
その後のアレクサンドロス大王は父のフィリポスはマケドニア王族でヘラクレスの子孫であり、母のオリンピアスはイピロス王族でアキレウスの子孫でありました。

動画も作ってみました。
紀元前4世紀 アイアスとヘラクレスの聖域 アテネのフィロパプウ
なんかもう、コロナ騒動以降は外出が苦痛になりました。
世界が平和になって、誰もが世論込んで暮らしていける環境になりますように!
そんなふうにいつも思っています。
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by lemonodasos
| 2022-05-12 03:20
| アテネ アティカ県
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Comments(2)