アテネの古代人の家 コリトス路地の家 |
Περιοχή Στενόπος Κολλητός
Stenopos Kollitos Area
ステノス・コリトスとはコリトスの路地或いはコリトスの狭い道という意味。
この遺跡はアクロポリスの西側の林の中にあるのだが、人はそこに入れないので、
オドス・アポストル・パヴル(アポストロス・パヴロス通り)の石畳の通りから見ることができる。
古代アテネ、、、アテネというのアテナ女神からつけられた地名で、アテナの支配地域が増えてあっちにもこっちにもアテナ(Αθήνα)の勢力になったので地名はアテナの複数形でアテナイ(Aθῆναι)と古代は呼ばれた。古代の地名は複数形だった。
現代ギリシャでは単数形の地名のアテナで統一された。
なので古代アテネとはアテナイのことともいえる。
一般的にアテナの複数形はアテネスというのがあるが、
けっこう古い時代からこの言い方になっている。
その古代ギリシャのアテナイの基礎自治体にコリトスというところがあって、そこはアクロポリスに西側にあった。古代アゴラから南西に入ったとこ路である。まぁ古代のアテネ市コリトス町の路地(というか細道)といったところである。そこには数軒の邸宅、小神殿、クラブハウスがあったようだ。
モザイクのあるローマ時代の家 西暦2世紀
Οικία του Ρωμαϊκού Ψηφιδωτού 2ος.αι.μ.Χ.
House of the Roman Mosaic 2nd.cent.A.D.
西暦2世紀の建設されたモザイク床の残る家に住んでいた人はわからない。
しかしこのモザイクの床はのある部屋の壁にはベンチが置かれていたのだろう。
来客はモザイクの床を見ながら、会話をしたり、或いは家族が会話をしたり、、
応接間か、居間だったところなのだろう。
古代の壁だったところの建築材料はすっかり消えてしまった。廃材の再利用で、
ひょっとしたらどこかの家、石畳の道の姿を変えて今もあるかもしれない。
アクロポリスの西側の林の下にこのような家を持つということは相当に富裕な古代人だったと思う。誰かするするするっと魔法をかけて古代人の家を再現してほしい。
アリストディモスの家 紀元前4世紀から西暦4世紀
Οικία Αριστοδήμου 4ος.αι.π.Χ.~4ος.αι.μ.Χ.
House of Aristodemos 4th.cent.B.C.~4th.cent.A.D.
アリストディモスという人物はどんな人だったのだろう?
この家の持ち主だった人物は少なくと何世代かの子孫によって維持されてはいたかもしれない。ひとの浮き沈みもあるし、引っ越しもあるので、いろいろとこの通りの様相も変化しただろうが、少なくても800年の歴史がこの家にはあるのだ。
アリストディモスの家の近くにペリアンドロスという人物の家があるのだが、
めぼしいものは残っておらず、樹木にさえぎられ、侵入禁止で見ることはできなかった。
このアリストディモスの家はローマ時代のモザイクの家のほぼ左隣に残っている。
同じ並びに小神殿や貧困者救済のクラブハウス(というか古代の協会)のようものがあった。なんというか昔から救済政策はやっていたのか、、と思うと感動してしまう。本当に貧困者救済者のためかどうかは知らないが、私は読んだ資料にはそのようにあったので、また時が来れば、誰か歴史学者によって、あれは違いました!とか言われるのかな?と思っている。そういうことよくあります!
説明看板にあった地図
雨風でくたびれた説明看板の地図なのでよくわからなくなっている。
赤いところがアテナイの古代コリトス基礎自治体の細道(路地)である。
この通りはΟδός Αποστόλου Παύλου (オドス・アポストル・パヴロル))という。使徒パウロの通りという意味であるが、ギリシャ語になると、名詞も変化するのでめんどくさい。
動画を作成してみました。
この通りにもニャンコがいたりして、ギリシャ紳士がそっと猫たちを呼んで猫旧sh句を与えていました。