ドドニのゼウス神殿と神託の歴史 |
Η Ιερά Οικία (Ο Ναός του Διός/Δία) στη Δωδώνη
The Hiera Oikia (Temple of Zeus) at Dodona(Dodoni)
イオアニナ県ドドニ共同自治体
Νομός Ιωαννίνων - Δήμος Δωδώνης-
Ioannina Prefecture - Municipality of Dodoni-
ドドニのゼウスの神託はギリシャ世界では最も古い神託所とされています。
ゼウス信仰とその神託の歴史は紀元前1000年代にはすでに始まっていたといわれています。
ゼウス神殿はイエラ・イキア(聖なる家)とも呼ばれていました。
神殿がイエラ・イキアに組み込まれているのでそのように呼ばれているのかもしれません。
写真はイエラ・イキア入口付近で、中に樫の木がありました。
紀元前5世紀後半までゼウス神殿は建立されていませんでしたが、そこに樫の木があって、その根元に神が宿っていると信じられていて、神託を出していました。
左は現存するイエラ・イキアとゼウス神殿遺跡の見取り図です。赤の部分は紀元前4世紀、緑の部分は紀元前3世紀前半、青の部分は紀元前3世紀後半です。そして青の部分のゼウス神殿です。
ゼウス神殿そのものは大きくはありませんが、イエラ・イキア全体の大きさは20,80メートル X 19,20 メートルあります。
写真はイエラ・イキアのゼウス神殿後側から全体を撮影したものです。
ドドニの神託の歴史
わたくしは遺跡看板の説明を参考にその歴史を書こうと思います。
ドドニの神託は紀元前1000年頃と言われています。その神託の方法は独特の方法で行われていました。まず神託所には樫の木があって、その根にゼウスが宿っていると考えられていました。そこで神官が、樫の葉の揺れる音や樫の枝に巣を作る小鳥の飛び方やさえずり方で、前触れや象徴として、神託を出していたのです。
神官は樫の木のそばに素足で立ち、また横になって、大地を体感しながら、神託を出していました。
紀元前8世紀ころになると、ゼウスの樫の木の周囲を三脚のついた青銅の釜(というかお鍋というか)がぐるりと囲む形になりました。銅鑼だと思います。
左の絵のような状態になります。
この絵は遺跡看板にあったものです。
樫の葉の揺れる音、小鳥のさえずり、飛び出す様子、青銅の三脚のついた釜のような形をした銅鑼をたたいた音など、総合的な観点から神託を出していたのでしょう。
紀元前6世紀になると、神託を受ける人々は、鉛板を切ったものの上に書いてお伺いを立てました。神託は口頭で告げられたり、鉛板の裏面に書かれるようになりました。その神託の御伺いの鉛板のタブレットはイオアニナ考古学博物館に展示されいます。
紀元前4世紀初めに、ゼウス神殿の入り口と内陣と4メートル × 6,50 メートルの小さな建物ができました。
マケドニアのアレクサンドロス大王はこのドドニを立派なものにしようと思っていましたが、若くして世を去り、そのままになっていました。
その後イピロス王ピュロス(297-272 BC)によって、大きな工事が行われ、神殿の囲むように建物ができました。ドドニはイピロスの宗教、芸術、スポーツ、文化の中心として躍進していきます。
紀元前219年にテルモス(アエトリアの一つの都市)軍とディオン(マケドニアの一つ古代都市)軍とドドニを急襲し、放火し、略奪したことがあり、一時破壊されてしまいました。その報復として紀元前218年の秋にマケドニア軍とイピロス軍はテルモスを襲い、その戦利品を持ち帰り、それでドドニは再建されました。
歴史家のポリュビオス(Πολύβιος, Polybios/204-125BC)はテルモス人はドドニを破壊していないといっています。ドドニはギリシャの大切な聖域、神託所は破壊するわけはないので、違う理由であろうといっています。(わたくしはつい最近テルモス遺跡へ行きました。すごい!です。)
紀元前167年にローマ人がドドニを破壊されましたが、また修復され、神託は出し続けられていました。
神託の終焉は西暦4世紀末に、神聖なる樫の木を切り倒して、そこから宝を掘り当てようとした人たちがいて、そこに巨大な穴ができてしまったようです。そこからの発見物について、書かれたものは何もありません。いったいどのような人たちが切り倒したのでしょうかねぇ。バルバロイと書いている人もいますが、、。
ゼウスは偉大なり、過去も、現在も、未来も。おう、偉大なるゼウス!
古代ギリシャ語«ΖΕΥΣ ΗΝ, ΖΕΥΣ ΕΣΤΙ, ΖΕΥΣ ΕΣΕΤΑΙ. Ω, ΜΕΓΑΛΕ ΖΕΥ !
現代ギリシャ語Ο Ζεύς ήταν, ο Ζεύς είναι, ο Ζεύς θα είναι. Ω, Μεγάλε Δία !
オー ゼフス イタン,オー ゼフス イネ、オー ゼフス サ イネ。 オー メガレ ディア。
英語だとZeus was, Zeus is,Zeus will be.Oh Great Zeus!
古代 ο Ζεύς(ゼウスは)-του Διός(ゼウスの)- τον Δία(ゼウスに) - Ω Ζεύ(おお、ゼウス)
現代 ο Δίας/ Ζεύς(ゼウスは)- του Δία(ゼウスの) -τον Δία(ゼウスに)- Ω Δία(おお、ゼウス)
ゼウスは現代ギリシャ語ではゼフスとディアスと二つ言い方があり、ディアスが一般的です。
ゼウス神殿を拝観するときわたくしは祝詞のように「ゼウスは偉大なり、過去も、現在も、未来も。おう、偉大なるゼウス!」と唱えます。
古代都市の神殿は見学というよりわたくしには拝観であり、神との対話をしている時間です。去るときは「ありがとうございました」を言います。
ヘロドトスの歴史を読んでいたら、このあたりの人は古代より神々を大切に信仰していたようだが、ホメロスとヘシオドスの時代の神話ができるまで、その神々に名前があるのを知らず、どんな姻戚関係だったか知らずに信仰していたというのです。
つまり紀元前700年以前はゼウス大神の妻が、ディオネ女神とテミス女神、そして正妻がヘラ女神という物語はなく信仰していたということでしょうかね。
或いはディアスとディオーネが正式夫婦で、テミスは神託が執行されるように導く神だったのかもしれません。そして一人娘がアフロディティでありました。英雄ヘラクレスの神殿もありますがこれは新しいものです。
紀元前1000年前のこの地方の人々は男神と女神の夫婦はディアスとディオネであります。
紀元前8世紀のホメロスの叙事詩に神々の名前や役割分担されています。ホメロスのイリアスには正妻がヘラ出他に妻や恋人がたくさんいて、息子神や娘神や、英雄がいっぱい出てきます。このことを紀元前1000年頃の北西ギリシャの人々に言ったら、腰抜かすかも!と思いました。
歴史の父ヘロドトスは叙事詩人ホメロス(イリアスとオディセア)とヘシオドス(神統記)の功績は地域の神々に親戚関係を作り、ギリシャ世界を一つにした功績は素晴らしいと言っていました。神々に名を与え、役割分担させたみたいなことを書いているんですよ。どこの地域の人も神々がいました。その地の英雄は神の子で英雄として、吟遊しながら、ご当地の歴史上の英雄を褒めたたえていたのか?と思いました。
今回ドドニの遺跡は見学順に更新しています。次の記事はディオネ神殿です。
お手間をかけて申し訳ありませんが
投票よろしくお願いします。
にほんブログ村