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2012年 02月 08日
Τα Ρωμαϊκά Λουτρά στα Ίσθμια The Roman Baths at Isthmia コリンティア県ルトラキ-アイイテオドリ共同自治体イストミア Νομός Κορινθίας,Δήμος Λουτρακίου - Αγίων Θεοδώρων,Ίσθμια Corinthia Prefecture,Municipality of Loutraki-Agioi Theodoroi,Isthmia ローマ時代の公衆浴場は設備の整った立派な建築物で、温水浴と冷水浴ができるようになっていました。そしてモザイクの床がきれいに残っています。詳しい資料がないので、それだけしか記述できなくて残念です。遺跡の看板の公衆浴場建徳物の間取り図があっって、その下に説明が書かれているわけですが、日差しと汚れのためにすっかり真っ黒になっていて分からなくなっていました。 ![]() たくさん部屋があって広間があります。どこがどのように使用されていたかは分かりませんが、たくさんの人がこの公衆浴場を利用しており、社交場のひとつになっていたことでしょう。 ![]() 遠くに見える高台のところにポセイドン神殿があります。床には白い大理石と黒い石で描かれたモザイクが張り巡らされていました。 ![]() モザイクの図案は海の妖精、イルカ、魚、たこ、いか、などが描かれています。 わたくしはたことかいかの図案を見ると、まっタコイカにもすばらしい!という天才バカボンのパパのせりふを思い出してしまいます。昔はよく読んだものですが、、。テレビでもやってたような、、。 ![]() テラコッタの板を重ねた低い柱がずらっとある部屋はローマ時代の公衆浴場でよく見かけます。高床式の部屋で、下から床でも温めたのでしょうか?ギリシャの公衆浴場というのがネメアに残っているのですが、こういうシステムのある部屋はありません。 ![]() ここは温水か冷水のプールだったのでしょうか、、壁に白く石灰のようなものが塗られていました。 ![]() 白地に黒のモザイク、海の妖精、イルカに乗った少年、魚、タコ、イカ、などが描かれています。 ![]() イストミアのローマ時代の公衆浴場の間取り図です。部屋割り説明はルーム1・ルーム2・ルーム3・・・となっているだけで、詳しいことが分かりませんでした。 ![]() 今度イストミアに行くときはもう少し勉強してから行きたいものだと思いました。 次回の記事は競技場です。 一富士二鷹三茄子 にほんブログ村
2010年 11月 24日
Οικία της Λίμνης ή στη Δήλο Lake House on Delos この湖の家はヘレニズム時代(紀元前300年から紀元前100年まで)のものです。 ヘレニズムとはギリシャ語でエリニズモス、ギリシャ主義とかギリシャ文化という意味です。 アレクサンドロス大王の東方遠征から200年間をいいます。 ![]() 中庭に、モザイクの床があって、その周りに円柱、そしてその円柱のてっぺんにあったイオニア式の飾り彫刻の部分がいくつかおかれていました。古代はここに円柱が12本ありました。 ![]() よく見ると壁のあたりに大理石のベンチがあります。 ![]() この家の見取り図と出土品とその説明の書かれた看板がありました。 円柱が16本中庭のようなところがあって、その周辺に部屋がいくつもあります。 ![]() この家からの出土品したものは数点あります。上の看板の写真がそうです。 その中で最も有名なものをアテネ国立考古学博物館にあります。 紀元前2世紀 アテネ国立考古学博物館所蔵 この女性像は紀元前2世紀のもので、オリジナルは紀元前3世紀にありました。 ![]() アテネ国立考古学博物館の説明によると 葬儀用女性像(Επιτύβιο Υυναικείο Αγαλμα/Female Funerary Statue )という タイトルがつけてありました。 紀元前3世紀のオリジナルがその後も作られたわけです。 そうなると、この顔とこのいでたちパターンの彫像類が色違いで、 古代の石屋さんに行くとずらーっと並んで店頭にあったりしたのかしら? さて、この女性像は「湖の家」に飾られていたわけですね。 いくらなんでも葬儀用彫像を飾るのもどうかと思うので、おそらくこの「湖の家」に住んでいた婦人の顔に変えて置かれたのだろうと思います。オリジナルの立ち姿で顔だけを変えるだけの仕事は古代の彫刻家にとって、さして難しくもありません。 この辺のところを考えるとわかりません。古代ディロスでは人間が死ぬことを禁じられ、墓地もありませんでした。ディロス人の墓地は近くのリネア島にあります。 この女性像には彩色された跡が残っています。復元すると下のようになります。 ![]() 古代彫刻は真っ白の大理石像を想像しますが、実際は日光東照宮状態の色合いで、ピカピカだったのかなぁと思います。 お手間をかけて申し訳ありませんが 投票よろしくお願いします。 ![]() にほんブログ村
2010年 09月 23日
Ναός του Απολλώνα στην Νάξο Temple of Apollo in Naxos ナクソス島ーナクソス市ホラーパラティア小島 Νάξος -Χώρα της Νάξου- Nησάκι Παλάτια Νaxos Island-Naxos City Hora-Palatia Islet パラティアと呼ばれる小島 ナクソス市ホーラの先にパラティア(Παλάτια /Palatia)と呼ばれる小島があります。 パラティアというのはパラティ(Παλάτι) の部分の宮殿という意味があります。 その島にアポロン神殿遺跡があり、残っているのは四角い門のようなものと、 建築物の基礎部分が残っていました。 ![]() 昔から人々はこのパラティア島をアリアドネの宮殿(パラティ)と呼んでいたのでした。 アリアドネといえばクレタ島のミノス王の娘で、 アテネ王子テーセウスに一目ぼれして閉まった女性です。 父ミノスを裏切って、テーセウスのミノタウロス退治を助けてしまいました。 そしてテーセウスと共にクレタ島を脱出し、途中にこのナクソス島に漂流します。 ところがテーセウスは眠っているアリアドネがに薄情にも置き去りにしてしまいます。 その後、この地のニンフたちに育てられていたディオニュソス酒神がアリアドネを妃としました。 そのときに酒神はアリアドネの冠の贈り物をしました。これが星となって冠座となりました。 この神話は古代の詩人や劇作家によって語られており、話の筋は多少異なっていますが、 テーセウスが置き去りにして、ディオニュソス酒神が妃としたことは統一されています。 神話というのは詩人や劇作家によって創作されてそれぞれの芸術になるので、 いろいろな結末の分かれていますが、、、。 みなさんが詩人や劇作家なら、どのような結末を選ぶのでしょうか? さて、、、このパラティア小島の遺跡はディオニュソス神殿ではなくて、 アポロン神殿なのが、なんとなく残念です。 (ディオニュソス神殿はナクソス市ホーラの郊外の畑の中にあります。) ![]() このパラティア島はナクソス島と一本道でつながっているので、歩いていけます。 道の両端で海水浴している人たちがたくさんいました。 海水は美しいし、古代遺跡とホーラのカストロの風景もすばらしいし、 外国からの観光客は「こんなところで泳げるなんて幸せ」と思うでしょう。 ![]() アポロン神殿のポルタ-ラ このパラティア小島にあるアポロン神殿の四角い門というかアーチは ポルターラ(ギリシャ文字Πορτάρα/ラテン文字Portara)と呼ばれます。 ポルタ(πόρτα)はギリシャ語で、戸、ドア、扉のことをいいます。 ポルターラは大きな戸、偉大なる戸、の意味があります。 太陽の大戸、ナクソスの大戸、文献やらネットの中でいろいろに表現されています。 ポルターラの高さは約6メートル、幅は3.5メートルです。 ![]() アポロン神殿の建設 紀元前6世紀(530年)頃、ナクソスのタイラント(僭主)リグダミスが統治していまいた。 リグダミスによって、このアポロン神殿の着工されましたが、途中で彼の圧制が崩壊し、 神殿は柱と壁を残して、未完のままとなりました。 は野外の神殿のまま、ずっと古代ナクソスの人々は参拝していました。 中世(西暦5世紀)、このアポロン神殿の大理石の廃材はホーラの城あるいは キリスト教会の材料として使用されました。 ![]() 神殿の規模 フォティ二・ザフィロプルーというギリシャ人考古学者の書いた NAXOS Monument and Museumという本を参考によると、 このアポロン神殿はイオニア式で、その規模は神殿は規模は長さ50メートル、 幅28メートルあり、円柱が神殿の内室に6本ずつ2列にありました。 しかしネットでは長さ59メートルと書いてあるサイトが多いのです。 どうなんだろうなぁ、事実は、、、と思っているところです。 ![]() ナクソスのリュグダミス(リグダミス) リュグダミス(Λύγδαμις/Lygdamis)の生没はわかりませんが、 紀元前6世紀頃の人物で、歴史の中の記録は紀元前524年で終わっています。 ヘロドトスの「歴史」のクレイオの巻の61と64に少しだけリュグダミスのことが出てきます。 ナクソス島を支配下においたアテナイの僭主ペイシストラトス(紀元前6世紀頃~紀元前527年)がリュグダミスにナクソスとその周辺の島の統治させました。 ナクソスの僭主リュグダミスはペイシストラトスのために軍資金、兵隊を送るなどして、 熱烈にペイシストラトスを援助していました。なかなか義理がたく、忠誠心ある男ですね。 ペイシストラトスはナクソス島の北に位置するディロス島(アポロンとアルテミスの生誕地)の都市の住民に次のように命じました。 ディロス島で、生まれること、死ぬこと、を禁ずる。 この地にあった墓地はすべて掘り起こし、他へ移すべし。 リュグダミスはナクソス周辺にあったディロス島も統治管理していたので、 それを粛々と行ったようです。 その後、このディロス島の墓地は大部分は対岸のリニア島に移されました。 ディロス島の建物や彫像類の大理石はナクソス島、パロス島のものが使用されていました。 それでこの2島も経済的に大変豊かだったのだろうと思われます。 キクラデス諸島に位置するナクソス島の周辺にはパロス、ディロス、などがあって、 これらをリュグダミスが統治管理していました。 この島々の中での最も大きく、緑豊かで、農産物が良くとれる場所はナクソスです。 大理石が採れる山があちらこちらにあります。 リュグダミスは同盟国のサモス島の僭主ポリュクラテスがミレトスと ミッティリーニ(レスボス〉と紛争を起こしたときも、熱烈に支援しました。 紀元前530年頃に、リュグダミスはアポロン神殿の建設を開始しました。 紀元前524年にスパルタの軍隊介入により、リュグダミスの統治は終了したのですが、 このことについては手元にさらに詳しい資料がないのではわかりません。 太陽のポルタ-ラ このポルタ-ラ(大戸)はリュグダミスの統治していた頃からここにあります。 アポロン神殿の日没が美しいです。 ギリシャ神話では太陽の神はイリオスといい、実際に太陽を動かす神様です。 アポロン神はイリオス神の上に立ち、天と人の心の光をもたらします。 アポロン神は学問芸術スポーツを守護し、人の心に光をあてる神なのであります。 ![]() この神殿はディロス島を向いて建てられているということです。 リュグダミスがこのアポロン神殿を建てた時代には、 アテナイのペイシストラトスはアクロポリスの下に壮大なゼウス神殿を着工しました。 これも未完のまま現在まで残っています。 そしてサモス島のポリュクラテスも壮大なヘラ神殿を建設しました。 ![]() アポロン神殿の壁や円柱のめぼしいものはすべて中世のお城に利用されましたが、 このポルターラはそのまま残されました。 ![]() パラティア島のポルタ-ラの前から撮影するとこのような写真が取れます。 小高い丘の上にお城があって、下のほうに人々の家、そして教会などの建物が広がっています。 ![]() お手間をかけて申し訳ありませんが 投票よろしくお願いします。 ![]() にほんブログ村
2010年 09月 17日
ナクソス島に20日間ほど滞在しました。その後はサントリーニ島に10日間ほど滞在しました。
エーゲ海のキクラデス諸島の中で最も大きな島で、面積は429.785 平方キロメートルあります。そして人口は2001年の調査ですと、18,188 人だということです。 私は体調が良くないので、ギリシャ人の医師の言葉に従って、タラソセラピーをすすめられました。ゆっくり、ゆっくり、ストレス溜めないように歩いたり泳いだりしました。 フェリーでやって来る人々はアポロン神殿とナクソスの町の美しさに瞠目するでしょう。 アポロン神殿といっても、アーチだけが残っているだけなのですが、この世のものとは思えない不思議な美しさがあります。この神殿については後日にないますが、記事にする予定です。 ![]() ナクソス島にはアポロン神殿遺跡、サングリ村の近くのデメテール神殿遺跡、イリアのディオニュソス神殿遺跡が残っています。ほかに古代遺跡として、ナクソスの町中にアゴラ、メラネスの古代遺跡群(神殿、採掘場、クーロス二体)、アポロナスのディオニュソスの巨像などがあります。 ナクソスの町の高いところには中世のカストロ(お城)がありました。ナクソス公国というのがあってマルコ・サヌディというヴェネチア人が統治していたそうです。ここは古代のアクロポリスあったところです。写真はアポロン神殿から撮影したナクソスのホーラと呼ばれる町です。 ![]() 古代も中世もエーゲ海の島に中継地を持ち、そこで貿易船の食料の補給また荷物を積み替えたりしていました。さらにその貿易船の安全のために兵隊をおく必要がありました。海上には海賊もいたし、また島に積み込まれた富の強奪にも上陸してきたりしました。 ナクソス島にはヴェネチア人やフランス人の建てた塔や小さな城や教会があります。 特に塔はたくさん残っているようです。 その後トルコの支配も受けますが、中継地としての役割はずっと続いていました。 安全な貿易航路の守りとしてエーゲ海の島は重要な役割を果たし、各国の商品取引も行われていました。 特にエーゲ海の中でもナクソス島は農作物がとれ、飲料水も安全でした。 それで中世にはこの島の領有権をめぐり、中世に争いが起こりました。 そのことについてはあまり詳しくないので、ここまでにします。 ナクソスには塩の湖がいくつかあって、そのひとつがこの写真です。 遠くにカストロとアポロン神殿が見えます。 ![]() 島で最も高いザス山は999メートルあります。ザス山には洞穴があって、そこでゼウス大神が育ったいう神話があります。(ゼウス大神が育ったところはほかにクレタ島のディクティ洞穴などの神話がります。)このザス山の写真はチカララリオの古代(幾何学時代)の墓地のあると思われる場所から撮影しました。 ![]() ナクソス島の海水浴場はどこも美しかったです。何よりも海水がきれいです。 写真はアイオス・プロコピオスの海岸です、対岸にパロス島が見えます。 ![]() ナクソス島からのワンデー・クルーズというのがあります。 このワンデー・クルーズの船に発着場所は、フェリーの場所とは違います。 小さな白い教会が海に浮かんでいるあたりにワンデー・クルーズの港があるので、 地元の旅行代理店、たとえばザス・トラベルで、チケットを購入する時に、必ず船の出発場所を聞いておくと良いでしょう。 1.デロス島とミコノス島コースは夏は週3回あって、50ユーロします。 それぞれの島に約2時間の見学時間が設定されていました。 2.クーフォニシ島とイラクリア島のクルーズ (ほかもワンデー・クルーズありましたが、忘れました。そのほかに情報としてパロス島には一時間で行けます。またイオス島も近いです。) 随分と更新していませんでしたが、ゆっくりと勉強しながら更新していきたいと思います。 お手間をかけて申し訳ありませんが 投票よろしくお願いします。 ![]() にほんブログ村
2010年 01月 01日
(フロニャ ポラ ケ カリ フロニャ ディオ ヒリャーデス デカ!) 新年明けましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いします。 スーニオンのポセイドン神殿 ![]() ポセイドン神殿からの風景 ![]() ![]() にほんブログ村
2009年 07月 27日
Γυμναστήριο στην Ερέτρια Gymnasium at Eretria エヴィア島エレトリア Νήσος Εύβοια, Ερέτρια Island of Evia(Euboea),Eretria 写真の上の方に見えるのがエレトリアのアクロポリスです。 下のほうのフェンス内には体育館の一部の建物跡が残っています。 ![]() 写真の左側に円形の建物跡がありました。 体育館のつながりだったようですが、 フェンス内に入れないのでどのようになっているのかわかりません。 ![]() 写真の右側には流し台のようなものがあります。 ![]() 上から流し台のようなものがある部屋を撮影しました。 床には細かい丸石が敷いてあります。 体育館の可憐建物なので、汗を流したところでしょうか? ![]() フェンスの外にあった建物の基礎部分です。 ここが体育館で、運動をしたところだったのでしょう。 ![]() 体育館遺跡の前あたりにスタジアムがあったようですが、 ここは何もなくて現在羊の群れの通り道になっています。 遠くに見えるのは糸杉の向こう側は古代劇場の後ろ側になります。 ![]() エレトリアのアクロポリスへ行こうと思っていますが、なかなか暑くて、まだ上っていません。 アクロポリスの斜面にアルテミス神殿跡、頂上には古代の家の跡、城壁跡もあります。 涼しい秋になったら上ろうと思っています。 ブログにお越しになった方へ お手間をかけて申し訳ありませんが 投票よろしくお願いします。 投票いただき、まことにありがとうございました。
2007年 09月 10日
アノ・シロスは13世紀にヴェネチア人とジェノヴァ人によって出来た町です。
地中海貿易の中継地としていました。海賊などからの被害にあわないようにしたのです。 シロス島を中継地にして、そこからまた違う船で荷物を運んだりしました。 この島にその時代の貴族や兵隊や商人もいて、町の頂上にはローマンカトリックの教会も出来ました。そこには修道院もあります。またフランスは修道士の学校も作ったそうです。 そうするうちに教会を取り囲むように人が住むようになりました。 それでこの島に住むギリシャ人はカトリック教徒が多いのです。 18世紀初頭はローマンカトリック教徒が6000家族で、ギリシャ正教と12家族でした。 その後は多少はギリシャ正教徒も増えたようです。 アノ・シロスの全体の風景 ![]() ローマンカトリックの聖ゲオルギオス(聖ジョージオ・聖ジョージ)教会 後ろから撮影したものです。 ![]() アノ・シロスの町の中 ![]() アノ・シロスにはタクシーで3ユーロでした。 町の入口に入ったら、もうタクシーも車もロバもつかえません。ひたすら歩きましょう。 先ず、必ず頂上の教会へ言ってお祈りしましょう。 疲れず最後まで歩きとうせるように助けてください。 アノ・シロスの頂上から、エルムポリの海岸までタクシー車無しで歩くことになります。 バスもタクシーも妻得ることが出来ません。 ![]() 帰るときは町の主要道は階段道なので、ゆっくり風景を楽しみましょう。 猫もいるので退屈しません。 道は両腕を広げた広さよりも狭いところは行かないようにしましょう。迷子になります。 ![]() 斜面に出来た町なので階段が町中に網羅されています。 ![]() 空き家になっていて、猫の入り口がありました。 ![]() 喫茶店があるらしい看板が見えます。夜は白い壁にかけてある鉄製の枝のようなデザインのライトがつきます。 ![]() 左側の黄色い色の壁の家は、マルコス・ヴァムヴァカリスという国民歌手の記念館です。彼は生前ここに住んでいました。小さな家かと思ったら意外と広いです。 ![]() 日が落ちてからの営業のお店です。日中は観光客しか歩いていません。 ![]() マルコス・ヴァムヴァキオスの胸像 マルコスというのはマルコのギリシャ語版ですが、この名前はカトリックの名前です。 ![]() 暑くてへとへとで、一人で歩いているとつらいものがありますが、猫がいたので楽しかったです。 ![]() 猫たちのゴハンをやる人たちがいます。猫は外で自由にしています。 この町の階段道は石で出来ていて樹木はプランターに植えてあります。 時々気もありますがまれです。 それで、箱に砂を入れて、猫の共同トイレとしてあるのを、いくつか見ました。 ![]() 階段を下りてだんだんアノ・シロスの出口に近付きます。 ![]() さぁ、アスファルトの道が見えました。ここからは平らな道ですが、タクシーなどは捕まらないし、バスもないのでひたすら歩きましょう。 ![]() これからバカンスにもう一度行きます。更新はするかどうかわかりません。 投票よろしくお願いします。→
2007年 08月 14日
イドラ島は島の環境を守るために車の乗り入れが禁止しています。あるのは3台の公用車です。清掃車と救急車と消防車らしいです。
この女性は双子のようなロバと港にいました。ホテルのお客さんのスーツケースを運ぶためです。ホテルの客はこの女性とロバの後ろを歩いていきます。 ![]() 姉ロバ・・・お前、重かろ? ![]() 妹ロバ・・・いいえ、姉さん、重かろ? ![]() こちら白ロバは、ひょっとしたら、ラバかも?今はスーツケース運びのために待機中。 ![]() この馬さん、かわいそう。冷蔵庫を背負っています。馬さんが疲れませんように。 ![]() この馬たちは、町中のスーパーマーケットに荷物を運んでいます。空になったので港へ行き、今度はホテルへ物資をはこぶらしいです。 ![]() カランコロンと馬についている鐘の音がします。この音を聞けば、馬が近くを走っていると分かります。事故は起こりません。 ![]() 子供づれの観光客たちは、馬に乗っている我が子の記念撮影していました。 馬に乗った子供たちは、今度はロバに乗りたいと言っていました。 ![]() 投票よろしくお願いします。→
2006年 02月 19日
![]() 不思議な人道路を歩いていました。夕方からエルムに立って、この格好で、お布施というか、投げ銭をもらうのだと思います。 道行く旅行者と話し込んでいます。 内容はその銀色の塗料は体に悪くはないのか? そういう皮膚に塗っても大丈夫な絵の具があるのか? 銀色の人は、体には良くないから真似しない!特に皮膚にはよくない!と答えていました。 聞いていたの中国人のカップルのようでした。 人気blogランキングへ < 前のページ次のページ >
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