アイアスの宮殿 サラミス島の遺跡 |
Μυκηναϊκό Ανάκτορο της Σαλαμίνας
Mycenean Palace of Salamina
1999年ギリシャ人考古学者Yiannis Lolos(ヤニス・ロロス)氏によって発見され発掘されたミケーネ時代宮殿があります。これはサラミスの英雄アイアスの居城ではないか?とも言われています。 それでいつか行ってみようと思っていました。新聞記事では宮殿発見は知っていたのですが、いったいどこにあるのか、ずいぶん長いこと、分かりませんでした。先々週の日曜日に行ってまいりました。
遺跡の所在地
山頂の見晴台
ううう、、岩をよじ登ったら見晴台はあったのですが、その周りも岩で、道なし!景色はやたらいいのですが、遺跡がない!
まさか一山また間違えてのぼったのかもしれない!?と思って、なんだかがっくりしました。
遺跡発見!
す・す・す・すると向こうに遺跡のようなものが!端っこから下を見ると、遺跡がありました。
良かった!良かった!これがアイアスの宮殿だ!
しか~し、岩を登ってきたもののどうやって今度はこの岩を下りよう?
怪我をせず、遺跡に行けますように!まっさか様に落ちませんように!
まったく遺跡めぐりもここまで来ると容易じゃないったらありゃしない!
やっとこすっとこ、山頂に来たら、遺跡がぐるりと新品のフェンスで囲んであります。鍵がかかっています。ぐるっと歩いて侵入できる場所があるか調査したところ、ない!です。
誰かが、侵入を試みて、ダメだった努力の形跡がありました。
しかしながら、こんな山頂に道もないのにどうやってフェンスを持ってきたのかとても不思議です。ずっと周りを歩きましたが、上り下りする道なんてないです!
世の中にはタフな人がいるものだと感心して、自分の未熟さを嘆きました。
遺跡の規模
遺跡から33の部屋を発見し、宮殿は4階建とのことです。
そして宮殿でだけで750平方メートルあり、4階建とのことです。ベンチのようなものあって王族のベッドではないかということです。
遺跡からの出土品
発見された文字の書かれた石盤には、エジプトのラムセス2世のものがあって、エジプトとの交易も盛んだったようです。またキプロス産と思われる出土品も見られます。
この遺跡からほかに石の道具、陶器なども出ていますが、それらはまだ公開されていません。
ミケーネ時代のサラミスの歴史
なぜうち捨てられたのか?
その時代の住民たちはどこへ行ってしまったのか?
歴史的にはキプロス島にサラミスという古代都市が紀元前1100年頃に成立しています。この年はサラミス島の人によって建設されたということです。ちょうどミケーネ時代にサラミス王国の滅亡と重なっています。
ギリシャ神話のサラミスの歴史
サラミスの父親のアソポスは海の神オケアノス(オーシャン)の息子にあたります。
サラミスは海神ポセイドンに愛されキュクレウスという息子が儲け、これをサラミス王としました。
キュクレウスの妻はニンフのスティベとで、、娘を二人儲けました。この娘たちもニンフです。
一人はカリクロといい、ケイローンという半人半馬の賢人と結婚しました。
もう一人はグラウケといい、アイギナ(エギナ)王アイアコスの息子テラモンと結婚しました。
キュクレウスには息子がいなかったので、テラモンを娘のグラウケと結婚させて、サラミスの王位を継がせます。
ホメロスのイリアスにでてくる英雄アイアスの母親はキュクレウスの娘グラウケではなく、グラウケの死後に結婚したぺプロスの娘ペリボイアと言われていますが、、、ちょっとこの辺は分かりません。
何しろアイアスの父親は婿養子なのに、トロイア王ラオーメードン娘へシーオーネーとの間にテウクロスという息子がいたり、、ほかにも息子がいたという話ですから、、、。
アイアスとアキレウス(父ペーレウス・アイギナ王、母テティス女神)はいとこ同士であります。
彼らは父親同士が兄弟です。トロイ戦争ではギリシャ軍の中でアキレウスに次ぐ武人でした。
アイアスには二人いて大アイアスと小アイアスとして区別されます。大小のアイアスは親子ではありません!大アイアスはサラミスのアイアスのことで、小アイアスはロクロスのアイアスのことです。
ホメロスの中のアイアス
アキレウスの死後、その母であるテティス女神がアキレウスの武具をかけた試合を開くと言い出したので、オデュセウスとアイアスが出場しました。引き分けの試合でしたが、どちらが勝利かを判定をしなくてはなりませんでした。判定はオデュセウスの勝利でした。
アイアスはこれに憤慨し怒り狂います。陣中でオデュセウスを殺そうと、たくさんの人々を殺しまくったのですが、正気に戻るとそれらは人間ではなく羊でした。これはアテナ女神がそのようにしたのでした。アテナ神にも嫌われたと思い、名誉を重んじるアイアスは絶望して自殺をしてしまいます。
サラミス島とキプロス島のサラミス
トロイ戦争が終わって、紀元前1200年ミケーネ時代のサラミス王国の滅亡し、紀元前1100年にキプロス島にサラミスから移動して来た人々が町をつくりました。神話によるとアイアスの兄弟のテウクロスの建設といわれています。
このキプロス島のサラミスできたということが、このサラミス島の滅亡したアイアスの宮殿の発掘で、歴史がつながっていきます。
アイアスという英雄が実在したかどうかは分かりませんが、そのような足取りが見えてくるような気がします。そのような話とともに歴史的発掘物がつながっているのが面白いです。
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ホメロスのイリアスは人間の短い命を一所懸命生きた人たちなので、美しいなぁと思います。それに比べて神々の長生きと気まぐれには困ったものです。