ある日のナフプリオ |
2月から7月まではコリンティア県とアルゴリダ県の遺跡を毎週日曜日は見学しています。
まったく何の資料もないところにも行くこともあります。そのとき必ず最後にはナフプリオで休憩して、夕食を食べて帰ってきます。しかしこのごろは年をとった所為か、たくさん食べることができなくなりました。それでも、ちょいよりします。
何度も紹介してつまらないかなぁと思いましたが、、、、。
ナフプリオという名前
ナフプリオというのはギリシャ独立後の首都だったところと、旅行ガイドブックにのっているわけです。
このナフプリオの起源は新石器時代からであります。
またナフプリオとはギリシャ神話によると海神ポセイドンの息子ナフプリオによって建設された町とあります。神話は神話であって、真実ではないという人がいます。その通りなのですが、偉大な王ナフプリオがただの人間とも思えない偉業を成し遂げたりすれば、そのような伝説もできるでしょう。またただのオッサンが王様になれるわけがないので神の子だと名乗ったりしたのかもしれません。そうなると歴史か神話か分からなくなってしまいます。
しかしながら、古代の遺跡や発掘品からは確かにそのような時代があって、人々がそこにいたということは、わかります。
ライオン像
このライオン像はナフプリオの郊外にあり、分かりにくいところにあります。歩いてはいけません。
これはギリシャ独立戦争とともに迎えられたバイエルン王オットー1世が、バイエルンからやってきた兵士たちのために建てた記念碑です。バイエルンの兵士たちはチフスによって命を落としました。
オットー1世像
銅像の写真だと顔の部分がはっきり撮影できなくて残念です。
オットー1世はギリシャを愛したと思いますが、宗教はカトリックのままで、ギリシャ正教に改宗しませんでした。
ギリシャ独立のためにヨーロッパ列強から選ばれて王となりましたが歴史に残る大失策は、ギリシャ独立の第一の貢献者であるコロコトロニス将軍をパラミディの要塞に幽閉し、死刑を宣告したことでした。
しかしギリシャ国民にとっては、この将軍こそ英雄中の英雄であり、王様になってもらいたいギリシャ人でもありました。いろいろな陰謀がありまして、オットー1世はコロココトロニス将軍に嫉妬と脅威を感じていました。ちなみに
この将軍の子孫はギリシャにいます。しかしこの将軍の名字はなんだか言いにくくて困ります。
パラミディの要塞
この要塞に上るには車でぐるっと回って上の門まで行くか、或いはナフプリオの町から999の階段で行くか、です。999の階段を登れば、ひざ小僧がふらふらして笑っている状態になります。
パラミディの要塞を最初に築いたのはビザンチン帝国の時代でした。その後ヴェネチアやトルコが修復しながら使ったのでした。
しかしながらパラミディはギリシャ神話の英雄パラミディスからちなんでつけられた名前で、この英雄も海神ポセイドンの息子でした。彼は大変賢かったのですが、オデュセウスから嫉妬心をかって、殺されたとあります。
ネオクラシックの建物の特徴
オットー1世は、ヴェネチア風のナフプリオに、ギリシャらしいネオクラシックの建物を建てることを進めていきました。ネオクラシックというのはネオが新しいでクラシックが古典です。
古代ギリシャの香りのする建物を、ギリシャらしいものを、そう考えたのでしょう。
ちょうど街中に古くて大きな家がありました。たぶんこれがネオクラシックの建物だと思いました。
私は詳しいことは分かりませんが、簡単に見分けるには屋根の瓦を見ることです。
かわいい顔のついた飾りの瓦があります。またこのような形で顔のない瓦もあります。
このような瓦の焼き物がお土産として売られています。
古代の神殿にもこのような瓦がありました。
ナフプリオンの古い町並
ヴェネチア時代の街並みとネオクラシックの建物が美しいのですが、階段が多いとつらいものがありますね。ひざ小僧が痛くなります。
タベルナ・ファナリア
このタベルナのお料理はなんでも美味しいです。夏だけはここで食べます。
投票 よろしくお願いします。→