カザルマのアクロポリス |
(ペリポネソス半島アルゴリダ県カザルマ村)
舗装道路の街道沿いから見たカザルマのアクロポリスは標高280メートルです。
ギリシャ古典時代(紀元前500年から紀元前300年まで)の遺跡です。
写真で見ると簡単に登れそうっですが、オリーブの林は意外と深いのでした。
ナフプリオンから15キロメートルで、道路の右手にアクロポリスの標識があります。
標識があるからと、遺跡も整備されてあるのかな?と思ったらいけません。
舗装道路から見えた後側の風景はこんな感じです。
もう農道とも山道ともつかないと頃を行きます。
車は途中において後は歩きです。簡単ではありません。
まず道がどこか分からないので、近くで農作業していた外国人たちにアクロポリスへの行き方を聞きました。
するとその人たちは低木や草や岩の上を歩くしかないよ!と教えてくれました。
さらに付け加えて
だ~れも、登る奴なんか、いね~~~!みんなここで写真を撮影しておしまい!
写真撮影に来る奴も見たこたね~~~~っ!
と言ってました。
私はこの低木と草を押し分けて、岩の上を歩いていきました。
途中、トカゲ、あぶ、はち、、、、たくさんいました。
やっとこすっとこ歩くと、塔のようなものが目に前に出てきました。
紀元前4世紀には、四方にこのような塔があったようです。
この塔に連なる壁の間に隠し門?と思われる不思議な入口がありました。
入れそうですが、意外と狭いのです。頭を打ちそうだし、、入口は土で詰まっていました。
入れる場所が左手にありましたが、そこへ行くのも岩の上をスパイダーマンのように行かなくてはならないのでした。結構きついです。
隠し門なのか、入口だったのか、分かりませんが、その門の上はこんな状態です。
ここから脱出することはきわめて危険ですので。入らないように!
隠し門と思われるところから撮影した平野ですが、気をつけないとまっさかまです。
これは壁の横についていた階段だったと恩われるところですが、ここからは登ることはできません。
遺跡の中から撮影した塔です。
この壁の石の組み方をキュクローブス式と言います。
石の形をきちんと統一していない組み方です。
私の立っているところの真下にこれが見えます。
危険ロープなどありませんから行きたい人は要注意です。
アクロポリスの上はこのように草で覆われています。
長方形の穴のようなものがありました。何に使われたのかは分かりません。
このアクロポリスはアルゴス人によって築かれたもので、古代都市エピダヴロスとアルゴスとの国境だったようです。
この遺跡は紀元前8世紀からビザンチン時代まで使用されていました。
紀元前8世紀の出土品が出ているからそういうのかもしれませんが、全盛時代は紀元前4世紀です。
ビザンチン時代は要塞の役割を果たしていたようです。ビザンチンとはビザンチウムという村の名前がつけられて帝国となった聞きました。しかしギリシャに来て分かったのは、古代の古代都市メガラの王が、現イスタンブールを紀元前3世紀頃に植民地にし、この王の名をビザンスの名をとって、都市国家としたそうです。
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命がけのレポート、ごくろうさまです。
こんな人の行かないような遺跡まで見学にでかけて行くまどかさん、感心します。
でも蛇がなーーー
先日田舎へ帰ったときは、アポロン神殿へ行こうとし山を間違え、ヤギ道の山へと車を走らせ、たくさんの岩場についにパンクまでのおまけがつき
神殿を見ずに日が暮れ帰りました。
しかし景色だけは、よかったーーーー。
同じ山でも遺跡があるならどこまでも!
蛇!私も苦手です。今回黄緑色の水彩画絵の具をそのまま塗ったようなトカゲにたくさんいました。
私は幽霊とか霊魂とか分かりません。しかしザワザワと音がしたらトカゲだと分かりました。怖いですね。
いい気持ちです。古代人が暮らしていたところを歩くのは自分さがしかなぁと思うこともあります。