その4 18人いた聖バレンタイン |
ヨーロッパには18人の聖バレンタインと呼ばれた人たちがいました。
その人たちは皆ほんものであり、別人であります。
彼らは全てキリスト教の初期に現れた人たちで、ヨーロッパ人でした。
ローマ人とは限らないのです。
さて調べたところによると聖バレンタインの18人はのうち12人はどこの聖バレンタインが判明しています。
1.ゲリ(Gheri)・・・・イタリア
2.コンダト(Condat)・・・・ フランス
3.ジャノヴァ(Genova)、イタリア
4.(Lassois)・・・・フランス
5.(Passou)・・・・?
6.テルニ(Terni)・・・・イタリア∴ローマから60キロ離れています。
7.トレヴィニ(Treviri)・・・・イタリア
8.ラヴェンナ(Ravenna)・・・・イタリア
9.ローマ(Roma)・・・・イタリア∴唯一のローマのバレンタインで、アテネに遺骨があります。
10.サンドミエール(Sandmier)
11.マドリッド・・・・ スペイン
12.ストラスブルグ ・・・・ フランス
13~18はただ今不明調査中です。
キリスト教の初期の時代は聖職者はギリシャ人が多かく、当然この中の何人かはギリシャ人でした。ギリシャ人は最初にキリスト教に改宗していました。またローマにいた学者や聖職者はギリシャ人が多かったのです。
ローマの遺跡は偉大ですが、古代ギリシャを征服して、すぐには技術習得は出来ないのです。
大理石の建造物はローマ時代もギリシャ人によって行なわれたものが多いのです。
ローマ帝国はその頃はまだ東西に分裂していませんでした。
そしてキリスト教もギリシャ正教とかローマン・カトリックというふうにはなっていませんでした。
ギリシャは大理石産出国です。今でも小さなものなら大理石の方が安かったりします。
2月14日の聖バレンタイン
アテネに眠るローマの聖バレンタイン
アテネの聖フランシスコ&クララ教会に眠る聖バレンタインこそが2月14日のオリジナルのバレンタインです。
1815年にローマのカタコンベの地下墓地から発見されたものです。ローマで殉教したのはこの人です。そして法王の次席に当たる枢機卿の証明が付いています。
またこのイズミールのローマンカトリックのドミンゴ大司教によって、ヨーロッパの各地の教会に分骨されていますから、その関係の協会もあるでしょう。
詳細はその1アテネに眠る聖バレンタインをお読みください。
ネット見つけたバレンタイン
本日ネットで聖バレンタインを調べていたら、2箇所に遺骨の話が書かれていました。しらべればもっとでてくるのでしょうか?
<マドリッドの聖バレンタイン>
先ずスペインはマドリッドの聖アントン教会( Iglesia de San Anton )に静かに眠っている聖バレンタインです。そこにも遺骨があって2月14っかに公開されるそうです。
その聖バレンタインですが、2月14日の人ではないですよ、お嬢さ~ん!
<テルニの聖バレンタイン>
この写真はテルニの聖バレンタインです。
イタリアのテルニの聖バレンタインが眠っていますが、2月14日のバレンタインではありません。テルニはローマから60キロも離れています。
ネットに2月14日の聖バレンタインの眠る場所のワインと銘打ってをビジネスしている日本の会社がありました。
ワイン売りやさ~ん、
その人は本当の聖バレンタインですが、2月14日の聖バレンタインではないですよ。
ちがいまいますよ~っ!
アテネの聖バレンタイン
アテネの聖バレンタインがほぼオリジナルの聖バレンタインと知ったのは、イタリア大使館に勤めていた友達から聞きました。
ギリシャのジャーナリストが新聞で発表したことから、イタリア大使館も調査してずっと半壊の聖フランシスコ&クララ教会をあっという間に修復してしまいました。
ただの古い大金持ちの家かと思ったら、教会だったのです。
写真の文字はこの聖バレンタインの遺骨が譲渡されたことを書いた枢機卿の筆跡です。
しかし18人の聖バレンタインは宗教の信念のために殉教したのですから、やはりみんなで2月14日は「ありがとうございます。命を大切にします。」と感謝すべきだと思います。
←よく調査したと思ってくださる方は投票してください。よろしくお願いします。押してくださった方には聖バレンタインご加護がありますように、押さなかった方にはご加護なし。