ビクトリア広場の無人邸宅とマリア・カラスの家 |
この邸宅はアテネ大学社会心理学教授アレクサンドロス・スボロス氏が住んでいました。彼は第2次世界大戦後に亡くなりました。彼はまた社会党の党首だったことがあるのです。
彼の遺言は「この家をギリシャ文化省(教育省)に委ね、売却しても良いし、賃貸しても良い。そのお金を貧しい学生たちのために奨学金の一部に使ってほしい」というものでした。
ところがその後どうなったのか、わかりませんが、一時ここに風俗が入る話になりました。そしてアテネ市長選のときに、地元民が怒りを市政にぶっつけて、そのまま空き家になり、誰にも使われずに、現在に至っています。
この垂れ幕には勝手に図書館などと書いてありますが、そんなわけありません。住んでいるのはホームレスかアナーキストですよ。いったいどうなっているんでしょうか?地元民は困っています。赤い旗ってアナーキストのマークかも!場所はビクトリア広場から、ちょっと離れたフェロン通りにあります。
アハルノン通りの邸宅
この邸宅はもう崩壊寸前です。道路に面した玄関側からの写真です。この家について近所の人たちは知りません。もう百年位この状態らしいです。
この邸宅の後ろ側には立派な庭がります。そこには鉄で出来た格子戸があります。外側から見ると誰かが住んでいるようです。洗濯物が干してあります。しかしこの家の持ち主でないことは確かです。誰かが入り込んで、庭の中にある小さな家?に住んでいます。中にいた人はホームレスか不法在留外国人のような感じでした。
持ち主の一族はどこへ行ったのでしょうか?死に絶えたか、或いは遠の昔にアメリカに移住してわすれさられたのかもしれません。もし持ち主がいたら、この建物はこの状態ではありません。ここはアハルノン通りにある邸宅です。
マリア・カラスの邸宅の正面
これはオペラ歌手のマリア・カラスの家です。彼女はこの家からギリシャから世界の舞台へ出かけました。家の鉄片から大きな亀裂がはしっています。アテネ地震で出来てしまったようです。こうなっては誰も買う人な現れません。
マリアの死後、この家に住む人はいなくなりました。アテネ地震の前まではこの家の半地下には喫茶店がありました。とても繁盛していたのですが、このひびが出来てから、閉店してしまいました。このはす向かいにアテネ国立考古学博物館があります。
人のすまない家はさびしい限りです。
一世を風靡したオペラ歌手だったマリアは世界一の大富豪アリストテレス・オナシスの恋人でした。彼女は世界的大歌手だったので、オナシスがジャクリーン・ケネディと電撃結婚したときは、大ショックでした。まったく男というのは勝手です。
マリア・カラス邸南側
オナシスとジャクリーンの結婚は失敗でした。ジャックリーンがオナシスのお金を使いまくって、ギリシャに戻らず、アメリカやフランスなどのあちらこちらの家を買っていたようですが、オナシスにはその家々の鍵を渡さなかったのです。ジャックリーンはお金と、オナシスは名門ケネディの夫人と結婚したのです。やはり結婚は愛で結ばれるべきであり、お金や名声だけでは続かないものです。オナシスは孤独のあまりまたマリアのところへ戻ります。
私はマリア・カラスのCDを持っています。
彼女の歌っている古いビデオを見たことがありますが、彼女以上のオペラ歌手はいない!と思っています。特にカルメンがすばらしい!もうすばらしすぎます。
彼女のあと、ディーパと呼べるオペラ歌手が世界にいるのでしょうか?
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