ケファロニア島に上陸 フィスカルドは静かな保養地 |
Kefalonia - Fiscardo
ケファロニア島に行くにはペロポネソス半島のパトラ港から出るフェリーもあるが、
わたくしはレフカダ島の二ドリ港からフィスカルドへ渡った。夏に行ったのでケファロニア島フィスカルドの便は何本か出ている。二ドリからフィスカル出までの海上風景は素晴らしかった。小さな島がいっぱい。
フィカスカルドのフェリーから撮影してみた。小さな村だが、観光地なのでそれなりの都会的なセンスもあり、島の情緒もある。夏の間、ここから各島々への周遊ができるらしい
フィスカルド港に入る前に船から見える風景である。
右が中世の灯台で、左が現代の灯台。このあたりに中世の遺跡が残っている。
フィスカルドとはこの島を統治したロベルト・ギスカルドから来ている。
Ροβέρτος Γυισκάρδος /Robert Guiscard,(1020 - 1085.7.17 70歳没)
ギスカルドはノルマン(スカンディナヴィアおよびバルト海沿岸に原住した北方系ゲルマン人)人だった。ノルマ人というのは、初期の頃は「ヴァイキング」と同じ意味である。ビザンティン帝国(東ローマ帝国)にとっては乱暴狼藉をするどうしようもない侵略者の扱いである。しかしながらローマ教皇のキリスト教の名のもとにやって来ての乱暴狼藉なのだ。
この人物とその息子はギリシャで大暴れの大迷惑だったようだが、ケファロニアの島では地名を残す人物となっている。まぁ英雄には両面があるので、このあたりについてはわたくしはわからないので、興味のある方は研究してほしい。中世は小さな国がいろいろあって、侵略があって、国が現れては消えたりする。その時代に生きていた人々のために勉強するということは供養になるのかもしれない。
ケファロニア島はロベルト・ギスカルドが建国した中世シチリア王国(南イタリアとシチリア島とイオアニア諸島)に中に組み込まれた。
詳細はこちら→ロベルト・イル・グイスカルド - Wikipedia
この絵は14世紀の無名の画家に描かれたもので、
中央にローマ教皇ニコラウス2世、冠をかぶって膝まずくロベルト・ギスカルド
フィスカルドからイタキ島が見える。対岸には古代都市の遺跡がある。
そしてイタキ島の対岸でタクシーを頼んでオデュウセウスの宮殿(ミケーネ時代)の遺跡へ行くこともできるが、船の出発を確認しないと無理かも。オデュウセウス宮殿は自由に散策できる。
松林の向こうに岩山のように見えるのがイタキ島、オデュウセウスの島である。
静かにヨットを楽しむ人、アクアラングをする人たち、魚釣りする人もいる。
夏の間は貸しヨットやボート屋さんが、春から初秋まで営業している。
小さなボートにはヤマハのエンジンが付いている!ここだけは日本製でないとね!
ローマ時代の墓地
ローマ時代の公衆浴場
素敵なお店
フィスカルドの海水はとてもきれい。小魚が泳いでいて、パンを投げて楽しんでいたら、厚かましいカモメにすべて食い尽くされてしまった。
いつの時代も時の権力者は我がままし放題ですね。今の時代にもいるような・・・?檸檬さんの御紹介の記事が面白くてついほほが緩んでしまいます。
いろいろな権力者が現れますが、そこに住んでいる名士のような人もいて、たいていが船主で、代々船員も同じ島出身の人を採用しているようです。