コリントス地峡のディオルコス |
Δίολκος Ισθμού Κορίνθου
Diolkos of Corinthian Isthmus
コリントス地峡のディオルコスは船を陸路で運ぶ道であった。
二つの海、北のイオニア海(コリンティアコス湾)と南のエーゲ海(サロニコス湾)を地峡に正方形のポロス石で舗装された。
紀元前6世紀に古代コリントスの僭主 ペリアンドロス(在位前 627~586)の圧政下にディオルコスは建設された。ぺリアンドロスはギリシャの七賢人の一人である。暴君と言われたが、芸術の憧憬が深く、コリントスは繫栄した。
僭主の地位はキュプセロス(父)からぺリアンドロスそしてさらに甥のプサンメティコスに引き継がれ、コリントスは植民地も増え、貿易も拡大した。
紀元前4世紀の修復され引き続き船の陸路として使用され、西暦900年頃まで、小型船や軍艦などを運ぶのに使用された。
1893年にコリントス地峡は閉鎖され、二つの海を結ぶ運河(全長6343m、運河の幅は水面部で24.6m、海底部で21m、深さは8m)ができた。
ディオルコスの遺跡が残っているのはコリントス運河には3っつの橋が架かっていて、一番北の橋のあるところの、西川に残っている。
コリントス運河
O Ισθμός της Κορίνθου
The Corinth Canal