古代コリントスのプロピュライア |
Αρχαία Κόρινθος - Τα Προπύλαια
Ancient Corinth - The Propylaia
古代コリントスのプロピュライアはレカイオン通りからアゴラ(フォーラム)へ入るところに建設された。プロピュライアというのは前門という意味である。
古代ギリシャ語でも現代ギリシャ語でもその綴りは同じでΠροπύλαιαであるが、現代読みではプロピレアである。
このコリントスのプロピュライアは西暦1世紀に建設され復元するとこのような姿となる→ コリントスのプロピュライア復元図
ローマ時代の旅行家パウサニスがこの地を訪れたときに、プロピュレイアの上には金色に輝く太陽神ヘリオスとその息子のパエトーンが戦車を操っている姿の銅製彫刻が残っていた。そのようなことが彼の旅行記に記述されている。
ギリシャ神話によればコリントス人というのは太陽神ヘリオスの子孫であったという。しかしローマ軍の猛攻撃によりコリントスの有力者たちはほぼ根絶やし、そして建築家及び彫刻家はアフリカや中東のローマ人の支配する都市の建設のために連れていかれたという。ギリシャ時代のコリントスの勢力下にあったシキオンには美術学校があったという。
この地にあった青銅類はすべてローマに移送され、ローマのパンテオンの建設に使用され、その後バチカンのサン・ピエトロ寺院の建設に使用された。
しかしアテネの王族及び市民たちとの悲惨な戦争は回避された。テーセウスの子孫であるアテネ貴族の代表へローディスはローマ元老院となりアテネ及びギリシャや中東の知事として残された。