KAVALA カヴァラ 歴史の古い町 |
紀元前のカヴァラは古代都市国家タソス(北エーゲ海のタソス島にあった国家)植民地でした。その後マケドニア帝国フィリッポス2世の建設した古代都市フィリッピの港町として栄えます。
その後ローマ帝国、ビザンチン帝国、カタロニア人、フランク人などが侵入してきます。後にオスマントルコのスルタン支配となります。
ここに聖パウロも来たのでフリストポリと呼ばれていたことがあります。どのような変遷で現在のカヴァラが地名となったかは分かりません。フリストとはキリストのことで、ポリは町・市の意味です。
先ず写真の一番上はアクロポリス跡地に建てられたビザンチン時代のお城です。
またその下の方にとても面白い建物が見えます。これはイマレットです。ここはかつてイスラムの修道士がいて、貧民救済をしていたことがあります。その収容可能数は300人くらいです。
今は打ち捨てられていますが、観光名所になっています。そこにイタリアレストランがありました。私はこのレストランが素敵なので入りました。しかしその時トイレが修道院時代の仕切りなしトイレで、びっくりしたことがあります。今はどうか知りません。
写真には写っていませんが、この町の中に煙草商人ムハマンド・アリ(1769~1849)の邸宅があります。彼はここで生まれたのです。彼の父親のイブラヒム・パシャと呼ばれていました。パシャとは太守のことですから、トルコの貴族の身分の人です。一番がスルタン(皇帝)の総合支配者、地方支配者がパシャ(太守)、その次がアガ(地方代官)になるのでしょうか?さてムハマンド自体は煙草商人でしたが、後にエジプト王となるのでした。
この一枚の写真の中に幾時代もが面影があるのです。
現代の船着場
ここからフェリーで、タソス島、サモトラケ島、リムノス島、レスボス島などにいけます。
いろんな時代を生きてきたカヴァラかもしれませんが、いったいどのフェリーがどこの島に行くのか、書いてもらわないと困ります、だいたい、まったく私たちは、全然方角の違う島にいくフェリーのところで待っていたりしました。
【並んで待つ文化】 をギリシャ国民に、いえその前に、サーヴィス業者の方に充実化させていかないと、滅茶苦茶なことになりますぞ!でもギリシャ人は実に偉い!
なぜかと言うと、滅茶苦茶なオーガナイズの中を、ギリシャ利用客だけが間違えないように、フェリーにきちんと乗れるのです。
だ~から、ギリシャ国民は偉い!
私ならそのまんまなるようになってしまいそうです。でも気をつけています。ギリシャではよその国ではしなくてもいい苦労を一般大衆はさせられているのでした。
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