閑話休題 ギリシャの誇る「勝利の女神ニケ像」のいろいろ |
古代都市オリンピアの遺跡にあったニケ像です。
ニケは、ギリシャ語ではニキで、英語だとナイキですね。その意味は勝利です。
このニキという名前を持つギリシャ人女性は多いです。日本語で言えば、お勝さん、勝子さん、克子さんのことでしょうか?なんとなくお勝さんとニケではイメージが合わないのですが、まぁそういうことになりますねぇ。
このニケ像は古代都市オリンピアのゼウス神殿近くに高々と掲げてありました。実に豪壮華麗なニケ像であります。
フランスが持ち去ったニケ像の方が有名ですが、このニケ像ファンもたくさんいます。
何しろ、古代オリンピック競技のあった時代から、ここで選手たちを見ていたのですからね。
この像のすばらしさ、さ~っと、空から舞い降りてくる感じです。まさに女神そのもですよ。
サモトラケ島のニケ像・2体
その1 フランスのルーブル美術館へ出陣中のニケ像
この像はサモトラケ島の古代遺跡に堂々と置いてあったものです。時のフランス大使が持ち去ったものです。本物はルーブル美術家においてあります。
ギリシャが弱体化しているときに列強は何でも持ち去ろうとしました。すばらしい理由の数々を付けて運び出しました。対等の関係でないと、強い方が正しい言い訳になるのが世の習いです。
かのルーブル美術館で私もこの像のオリジナルを見ました。ほかにミロのビーナスも見たのです。この2体の彫像に勝る彫刻はこれっぽちも覚えていません!
ロダンという近代の彫刻家がいますが、古代のギリシャ彫刻作家の方がはるかに優れていると思うのは私だけでしょうか?
しかしロダンの偉いところは、ギリシャ彫刻でない、新境地を切り開いたところですね。
ヨーロッパ列強はギリシャ彫刻を我が物にするためにあらゆる手を尽くしました。つまり持ち運びの正当理由です。持ち主がいて買ったものではないので、ニューヨークメトロポリタンの日本画とは違います。
近代ヨーロッパ列強のには、普通のギリシャの村民が怒りを持っても通じないものでした。ただ仕方なく運ばされますよ。ド庶民に何ができるのですか?
しかしながら、彼ら列強は古代遺跡そのものを持っていくことはできませんでした。
そう思って、新ギリシャ人の私ですら、怒りを抑えるのでありました。神は見ているぞ!ギリシャのエーゲ海の小島にあるから誰も見に来ないと言うのは真っ赤な嘘です!
世界中からたくさんの訪問者がいます。
その2 もう一体ある優雅なニケ像
このニケ像はサモトラケ島の博物館にありました。
ルーブルに行ったニケ像よりも一回り小さめですが、細身のなかなか美しいもので気品が備わっています。
ギリシャのあちらこちらの博物館に勝利の女神ニケ像があります。見た限りではそれぞれに美しく甲乙はつけられません。
古代の人たちが信仰していたのですから、何かこう、畏敬の念がふつふつと沸いてきます。それで、思ったことですが、神様を売り買いしたらいけないよ、ですね。
先ほども、ルーブル美術館に行ったニケ像も、フィフティフィフティの取引ではなかったのです。
こんなことした元フランス大使には神のお裁きがある!かも知れないし、ないかもしれませんが、あんまり良い事ではありませんね。こういうものをも母国に持ち帰ること、ある意味で、英雄的だったのかもしれないですね。そちらの国ではですが!
こちらではただの異国の女神を盗む泥棒、身分のある人たちなので、一方的な合意は、正当な取引なるのですね。
近代のヨーロッパ列強の大使は、エジプト、ギリシャ、トルコなどにあるものを、いかに土産として国に持ち帰るかを考えてばかりいたのだなぁと思いました。
列強の大使とは悪党で程度の低い人が多かったんですよ、きっと。今の人たちなら国際理解の点から絶対にやらないことです。
つまり当時には共通理解の奇麗事はなかったのですよ、アガピ・ム(わが愛する人よ)!
あのチャールズ皇太子は「パルテノンの破風の彫刻はギリシャに帰すべき!エルギン卿はイギリス時の恥!」と言っておられましたぞ!
古代都市エフェソスのニケ像
このニケ像は小アジアの古代都市エフェソスにあるニケ像です。古代ギリシャから古代ローマに栄えた国です。そこにはトルコがまだ来ていないずっと前の時代です。
このニケ像をご覧ください。手に羽根を持っていますね。これがあのスポーツ用品の会社ナイキのマークとして使われているのです。
このようにデザインの元祖のようなものがギリシャの古代遺跡にはたくさんあるのです。
たとえば中国かなぁと思われるどんぶりのふちの模様根、唐草模様に一種?あれは古代ギリシャの遺跡や壺の模様に使われいるんですね。どちらが古いのかなぁ?
皆さんの中で、ぜひラーメンを食べに行く時は、そのこと考えながら、味わってもらいたいと思います。
ルーブル美術館にあるオリジナル
このオリジナルが当時のフランス領事に持ち去られたサモトラケのニケです。
まったくもう、しょうがないですねぇ。
今のフランス人ならこんな大それたことはしないですね。
やはり世界はせまくなくなっているし国際理解教育、道徳教育も徹底していると思うので、どんな理由を付けようとも、人のものは人のものなのです。
どんなすばらしい理由も、横領の理由にはならないのです。
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最初の像ではお顔はよくわかりませんでしたが、きれいな女神様ですね。勝利の女神よりは母親っぽい感じ。暖かく人々を見守ってくれるということですかね。
我が夫は,NIKEをニケと読んで、私が大笑いをした思い出があります。
まだ、ナイキがそんなに一般的ではないときです。
でも、ニケでも正しかったのですね。
ルーブル美術館のNIKE像は、見ましたが、ギリシャのオリンピアのニケ像は記憶にないのですが・・・(恥)
テッサロニキに行ったとき、現地ツアーに乗ったのですが、「テッサロニキ(テサロニケ)のニキ(ニケ)は勝利という意味で、ナイキという商標はそれに由来する」とガイドが言ってたのを、強烈に覚えています。
確か「ニキータ」というフランス映画がありましたよね。観てないけど。勝子さんか。なるほど!
そういえば、ミケーネの獅子門も、当時は狙われていたそうですが、内陸で海までの搬出が困難で諦めたという話です。
そこへ行くとバイロン卿はギリシャ人が唯一好きな英国人で、アテネにビロナスという地名もあれば、メソロンギにはその像も立っています。
ギリシャに来たら彼は男の中の男でしたね。
なんでも語源はあるようです。ギリシャに来ていろいろ知りました。アイリーンはイリニで平和の意味だそうです。
ところで、ニコレッタは、ニコラオスの女性形だと思っていたのですが、ニコラオス(ニコス)の語源もやはりニケ(ニキ)なんでしょうかね?ご存知ですか?