もう一つのホメロス生誕地ピティオス ヒオス島 |
Χίος - Τόπος γέννησης του Ομήρου - Πιτυός
Hios - Homer's birthplace - Pityos
ピティオスは小さな村で、ここでホメロスが生まれたという。
そしてへロドトスがホメロスについてピティスでドーノコーノと書き記してもいる。
ピティオスとピティスの違いだがヒオス島でこの地名はここだけなのだ。
そしてこの過疎化の小さな村にはヘロドトスの文章の一部が記念碑として建てられている。
ピティオス(Πιτύος/ΠΙΤΥΟΣ)とピティス(ΠΙΤΥΣ)は
Ο(オミクロン)が入ってるか入っていないかの差。
ピティス(πίτυς)都は古代ギリシャ語で松という意味である。
現代ギリシャ語ではぺフコ(πεύκο)という。
ピティオスの村の入口のところに古い風車の跡が残っていた。相当古いのでこの感じだと数百年前かな?思った。まぁ本当のところはわからない。村の中に人が歩いてないので、聞けなかった。
オリーブの木の間に村が見えるのだが、本当にもう人の気配もない。昨年9月の中人だったので、おそらく午後3時頃はシェスタしているか家の中で涼んでいるに違いない。ギリシャの夏というのは灼熱なので、そんな時刻に歩いているのは外国人の旅行者くらいであろう。
小さな村の小さな教会では夏の結婚式でよく使用されていたものだが、今は閑散としている。まぁ村全体が閑散としていて、人の気配もなかった。ヒオス島に押し寄せる難民の所為で、島の中の山沿いの村は安全なのだが観光客が来なくなってしまった。
レストラン「マケロス/ΜΑΚΕΛΛΟΣ」が休業中なのか閉鎖したのかわからないが、押し寄せる難民のニュースによって、誰もいなかった。このレストランはものすごくおいしいマカローニャ・ヒウ(ヒオス・スパゲティ)があって、2001にここに来たときは客であふれかえり、誰もがみんなマカローニャ・ヒウを注文していたのだった。手でこねて、麺はケラーキ(小さなローソク)のようで、トマトソースと地元のチーズをかかっていて、あまりにもおいしかったので、その年は毎日ここで食事をしたものだった
ホメロス記念碑がマケロス・レストランの前にある。
ヘロドトスがホメロスについて記述した文が、ド―タラコ―タラ、と銘記されている記念碑があるのだが、ちょっとよくわからないので、今わたくしの助手に翻訳を頼んでいる。
ここに銘記されている文の詳細は近日中の掲載する予定である。
助手に頼んだので英訳終了後にここに記載するつもりだ。
研究者の方ですぐわかってしまった方もいるかもしれないが、
わたくしはただの冒険家なので、まぁ、ホメロスが一日ド―タラコ―タラと
書かれているなぁとはわかるだけだ。
ピティオスの広場は一つしかない。小さな喫茶店がある。しかし難民ボートなど騒ぎで、国境の島はそのあおりで、あっという間に殺風景な村となってしまう。
広場の喫茶店はこんな感じ。まぁ、なかなかノスタルギア(ギリシャ語でノスタルジー)があって、閑散としていても、いい味出している。
村の診療所があって、ここに医師が常駐しているらしい。
古くて可愛い石造りの小中学校があった。ギリシャは遅れた国とか゚言われてしまうが、一応は義務教育は日本と同じであり、寒村には診療所もあり、教育医療制度は一応それなりの設備はしているのだが、経済危機になって、給料や備品にいろいろと問題が生じているのである。
この通りをまっすぐ行って右へ行くと、中世のジェノヴァ人が作った塔が残っている。通り名はホメロス通り、英語で言うとホーマーストリートだ。
通りの民家の壁にオドス・オミル(ΟΔΟΣ Ομήρου=ホメロス通り」の看板があったので撮影してみた。
ピティオスの塔は中世の塔で、14世紀の頃にジェノヴァ人によって建設されたものである。
この塔からの出土品は陶器類と数種類のコインがあるという。
記念碑のギリシャ語は古代の文言なので、助手が気が向いたら英訳をしてくれるというので、今待っているところである。
ヒオス島のホメロス生誕地という二つの村ヴォリソスとピティオスの距離は21キロくらいである。
ホメロスは「ギリシャ人を教育した」とも言われているそうですね。
古典ギリシャ語を勉強しているのですが、ここを訪れるまでにもっと頑張ろうと思いました。
ギリシャ語は難しくていまだによくしゃべれませんが、まぁめちゃくちゃににしゃべっています。
話し相手を時々混乱させてしまうこともあります。
文字で書いてくれるとわかったりします。ギリシャ人は英語もテキトーによくしゃべれます。