古代ティラ 大雑把な歴史と大雑把な行き方 |
サントリニ島には大きな遺跡が四つあり、一つ目は先史時代のアクロティリ遺跡と、
二つ目は古代ティラというは紀元前9世紀から西暦726年まで続いた都市遺跡、
三つ目は英雄記念墓碑のあるエレフシナ遺跡、四つ目は島の北西のコルンボの付近の海に沈んだ遺跡があるようだ。
ティラの名前はティラスから
古代ティラの古代遺跡はメサヴノ山のいう高さ360メートルの岩山の尾根に広がっている。
日本語の歴史書や神話にはテラという地名で記述されている。まぁ、どのよう記述されていても、thの発音は日本語にないので、どれにしようか考える。
ティラ或いはテラはサントリニ島の正式名称である。
このティラ(テラ)は古代のこの島の統治者ティラス(テラス)から来ている。
ティラスがこの島を支配する前はフェニキア人が移り住んでいてカリステ島と呼ばれていた。
カリステ(Καλλίστῃ/Kallisteとはとても美しいという意味があるそうだ。
古代ティラの大雑把な歴史
紀元前9世紀にティラスという人物がスパルタから人々を引き連れてこの島に移り住み支配をした。この地はスパルタの支配下になった。
紀元前630年頃も7年間にわたり干ばつが続き、この地の住民はリビアのキレナイカへ入植していった。
ヘレニズム時代になって、プトレマイオス朝エジプト(前300年ー前150年)の支配地となり、エジプトの海軍基地として繁栄を極めた。
ローマ時代も衰退をはじめ、ビザンティン時代と続くが、西暦726年にこの島で小さな噴火があり都市は灰に覆われた。
過疎化が進み1300年までこの地に住む人々はいなくなり廃墟となる。
この場所へ行き方
わたくしは遺跡の入口のパーキングまで車で行った。
ここまで来る道のりはヘアピンカーブがひどいのと予測できないことがあるので、
運転慣れした人が運転してもらうべきである。何しろ対向車とのすれ違いが厳しいのである。
檸檬の森一向にはギリシャ運転自慢の人物がいるのだが、それでも大変だ。
フィラの町からバストレイン(トレインの形をした二台つながった乗り物)が出ているので
それに乗ったほうが良い。
このバストレインとすれ違うときはもうとんでもないほどパニックになる。
こちらで気配を感じたら、じっと動かず来るまで待つ配慮が必要である。
またカマリ海岸からヘアピンカーブを歩いて来る人もいるようだ。
高さ360メートルのメサヴノ山だが、カマリ海岸からだと遺跡入口のパーキングまで1時間30分かかる。
また反対側のペリサ海岸の山道もそのくらいかかるかもしれない。
遺跡見学にも時間がかかるし、岩の上を歩くのはくたびれる。
タクシーで来ても帰りは徒歩になるのでバストレインに乗ってくるのが一番。
ヘアピンカーブの車の運転で緊張のあまり人生を使い果たしてしまいそうになる。
もしも全部見られなかったら、また翌日も来る!わたくしはそうした。
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初期のキリスト教の教会
どこまでも続く古代人の道
なんかもう炎天下を歩いていると、道が長くてつらい。
檸檬の森一行の運転手はここで撤退してパーキングへ引き返した。
ごゆっくりどうぞ、、などと軟弱この上ない。やれやれ、、。
古代都市への道
この古代都市には神殿、アゴラ、劇場、公衆浴場、運動場,体育館、邸宅、貯水槽、その他無数の人家、がある。
無数の古代人の魂とすれ違ってしまいそうだ。特に劇場や体育館や柱廊を歩くとそのように思う。
数年前にこの遺跡を歩き回ったことがあるのだが、アフロディーテー神殿やヘラ神殿にお参りしておきたい。
古代のお店
古代都市の遺跡は町ひとつを見るわけなので、時間がかかるのである。
気長にやろうとは思うが、遺跡の門は3時にしまってしまう。
見学は二日かけたが、まだ見忘れたところがたくさんあって、困っている。
べつにさーっと見てもいいのだが、遺跡さんが全部きっちり見ていってくれ!といってるような気がするので、とりあえず墨から墨まで見てまわるのだ。
王の柱廊
この柱廊でサントリニ(ティラ)考古学博物館に展示されているアフロディテーの頭部彫刻が発見された。
劇場
海に面した劇場の右端にアナフィ島が見えるのだが、その日は快晴だったのに、かすんでいた。
上の写真の右上のところに写っているようないないような感じになっている。
古代都市の南端
この建物の密集地の向こうにアポロン神殿がある。やれやれ、歩くって、しんどい。
いろいろ写真撮影したいのだが、進入禁止のロープがあちらこちらにある。
この遺跡で知ったこと、そういうところに入ると、誰かが用を足ししていか、
或いはあの人は用足しと思われるということが分かった。
なんかもう人生にはいろいろな展開がるものだ。