またアンフィポリに行きたい! |
平らな感じのアクロポリなので、古代はそこに神殿や離宮や議事堂があったかもしれませんね。アンフィポリの歴史についてはこちらを参照ください。→アンフィポリス
紀元前480年にはペルシア王のクセルクセス1世がやってきて、恐怖のギリシャ住民をどんぞこに落とすこともありました。その後アテナイの勢力下になったり、マケドニアの勢力下にになったりといろいろの時代を経て、今はこのように廃墟になっています。この遺跡から離れたところに町があります。まぁ、住みやすいところに人は移動するようで、古代、ビザンティン時代の井戸水、泉は、貯水槽など、すっかりなくなってしまいました。あるいはあるかもしれませんが、干からびた遺跡になってますね。
アレクサンドロス大王の死後、王妃ロクサネとその王子アレクサンドロス4世はこのアンフィポリに軟禁されていました。ロクサネはバクトリア王女であります。彼女はアレクサンドロス大王のインド遠征にもついて行きました。途中実家のバクトリア王国によったのでしょうか?
バクトリアというのはウィキペディアによると、
バクトリア(Bactria)は、バクトリアーナ(バクトリアナ)、トハーリスターン(トハリスタン)とも呼ばれ、ヒンドゥークシュ山脈とアム(オクサス)川の間に位置する中央アジアの歴史的な領域の古名。現在はイランの北東の一部、アフガニスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、および、トルクメニスタンの一部にあたる。かつてその領域にはグレコ・バクトリア王国などが栄えた
そうです。
グレコ・バクトリア王国は、後に仏教国となり、そちら仏像などの彫刻制作が盛んになったようです。あのアフガンの大仏様が破壊されて、心から残念に思います。
古代ギリシャの王族に生まれた女性というのはアマゾン戦士のような女性が多いです。
アウダタ
たとえばフィリッポス2世の最初の妃はアウダタはイリュリア王女で、マケドニア女王の称号を持ち、エウデュリケの名前を与えられました。二人の間に王女キュナネが生まれ、アウダタは礼儀作法のみならず、狩猟、馬術、武術、軍隊の統率の仕方などを教えました。キュナネはアレクサンドロス大王の姉にあたります。キュナネの夫はマケドニア王アミュンタス4世でエウデュリケという王女がいました。このエウデュリケは後にフィリッポス2世の息子のフィリッポス3世妃となります。キュナネは母親と同じようにこのエウデュリケに教育をしました。しかし他の王妃のオリュンピアスによってエウデュリケは殺害されてしまいます。寂しいですね。
オリュンピス
彼女はイピロス(エペイロス)王女で、フィリッポス2世に妃の一人となりなり男子を産んだことで、大きな存在となります。彼女も武術に優れた王女でした。アレクサンドロス大王の死後、王位についたフィリッポス3世とその王妃エウデュリケを殺害したり、臣下のカッサンドロスにヒュドナというところで殺害されてしまいました。嫁ロクサネと遺児アレクサンドロス3世に思いを残してこの世を去ったわけです。寂しい。
カッサンドロスはアレクサンドロス大王の異母妹テッサロニケ(テッサリアの勝利という意味)を妻と、カッサンドロス王朝を作ります。彼女は幼くして母親をなくして、オリュンピアスに育てられました。テッサロニキにとっては不本意な結婚だったかもしれません。
イリアスの中のアマゾンを読むと、女王ペンテシレイアは軍神アレスの娘で、それに従う女兵士たちは王族の娘たちとあります。アマゾンのレリーフを見るたびに、アウダタ、オリュンピアス、ロクサネのことを思います。王族に生まれて生きることは容易ではありません。厳しい人生で、彼女たちの存在こそが政治なのかもしれません。
誰か、これを漫画にしてくれるといいのにね、そう思いました。
このアンフィポリの中にロクサネとアレクサンドロス3世が軟禁されていたのだなぁと思いました。
ロクサネ王妃も、けっこう、きついことをしていますよ。仕方がないのかもしれませんが、、。
アレクサンドロス3世の死後、ロクサネは大王のほかのペルシア人王妃3人、スタテイラとその姉妹ドリュペティスとパリュサティス2世を殺害していますからね。まぁ、ロクサネ王妃からすれば生かしておいても、国家騒乱のもとになります。結婚も国盗りなのでしょうかね。やはり嫁入り道具としての所領と、嫁の実家の援軍とか、大切です。
わたくしは2000年後に彼女たちのことをあれこれ考えて、遺跡の中をうろついているのです。
ビザンティン時代の遺跡もあるのですが、なんか、申し訳ないけど、興味ないわ~~。
アンフィポリの遺跡のまったく見ることの出来ない状況で、アテネに戻ることになって残念です。
古代の橋、アッティス神殿、クレイオ神殿、劇場、体育館、、、たくさんあるらしいですが、一体どこにあるのか分かりませんでした。道を聞けば良いことですが、皆さん、遺跡があるのは、のっぱらでありまして、現代アンフィポリの町の外で、めったに歩いている人はいません。
わたくしのような見るからに外国人がですよ、土地の人に近寄って行って、道を聞くとしたら、なんかもう構えてしまうんですわ。この数年の外国人の不法侵入によって、すっかり「外国人は怖いよ」的なギリシャ人画像化しています。旅のお供にギリシャ人がいれば、村人たちが安心するかもしれません。
しかしまぁ、遺跡は農場ではなく、のっぱらにあるので、村人にも会いませんでした。
何も見ることが出来なかった、、、。
少しのことにも、先達はあらまほしき事なり(徒然草 ・五十二段・吉田兼好)」
またアンフィポリにいけますように!
来た人はクリック!
↓
人気ブログランキングへ
にほんブログ村