アンフィポリの初期キリスト教バシリカ教会遺跡 |
Παλαιοχριστιανικές Βασιλικές στην Αμφίπολη
The Early Christian basilicas at Amphipolis (5th-6th
セレス県アンフィポリ自治体アンフィポリ
Νομός Σερρών, Δήμος Αμφίπολης, Αμφίπολη
Prefecture ofSerres,Municipality of Amphipolis, Amphipolis
アンフィポリのビザンティン時代遺跡として、初期キリスト教バシリカ教会跡が四つ残っています。わたくしが見たのは三つだけでした。同じ場所にあったのに見逃してしまいました。
それでなぜ見逃したのか?
チェックしてわかったことは、なんと、フェンスがしてあったので、そこから向こうは遺跡がないと思い、そこから入場口へ戻ってしまったことにあります。それはもちろんが人間が甘く、うかつな性格も大きく影響しているのであります。
結果としてバシリカ教会ΑΒΓΔあって、バシリカ教会Bを見ることが出来ました。そしてロトンダ建築物も見ることが出来ませんでした。「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり(徒然草 ・五十二段・吉田兼好)」にまたなってしまいました。案内人は必要です。でも誰が案内してくれるっていうの?
バシリカ教会遺跡群の入口付近
アンフィポリに初期キリスト教バシリカ教会の遺跡は5世紀から6世紀のものであります。
さてバシリカとはウィキペディアによると「建築の平面形式のひとつで、中央の身廊の2辺ないしはそれ以上の辺を、側廊によって取り囲むものをいう。身廊と側廊は列柱によって分けられる。バジリカ式、長堂式ともいう。(中略) バシリカはギリシア語で「王の列柱廊」を意味するバシリケーに由来するとされる[が、その正確な意味については議論がある。ローマ建築において、バシリカは裁判所や取引所に用いられた集会施設、またはそのような機能そのものを指す言葉として使われていたが、やがてローマ伝統の礼拝堂建築(および礼拝形式)ではなく、集団が一堂に集まる礼拝を必要とするキリスト教の教会堂の建築として取り入れられ、一定の平面形式を指す言葉となった」さらに詳細はこちらで→バシリカ
バシリカ教会Δ Βασιλική Δ/ Basilica D
モザイクの床 Ψηφιδωτά δάπεδα/Mosaic Floor
バシリカ教会A Βασιλική Α/Basilica Α
バシリカ教会の貯水槽 Βασιλική Κινστέρνα/ Basilica Cistern
バシリカ教会Γ Βασιλική Γ/Basilica C
アンフィポリのビ残ティン時代の初期キリスト教会はB(ベータ)がないので申し訳ない思いました。またそのうちのアンフィポリに行ける日が来ると良いのですが、、。
アンフィポリは古代はエネア・ホドイと呼ばれる古代ギリシャに九つの街道があり、ローマ時代にはヱグナティア街道という大道があったので、たいへん繁栄した都市でしたが、今はその栄華も草木に包まれています。
来た人はクリック!
↓
人気ブログランキングへ
にほんブログ村