アイガイの劇場 |
Το θέατρο των Αιγών
The Theater at Aigai
イマティア県ヴェルギナ
Νομός Ημαθίας Βεργίνα
Prefecture of Imathia、Vergina
アイガイの劇場は宮殿遺跡から60メートルのところにあるというのですが、ぐるぐる歩き回ってしまいました。何しろ草ぼうぼう、枯れ草のとげとげがひどくで、たいへんでした。もう役場の人はもっと管理をして、草刈してほしいと思いました。
いったいどこに劇場があるのだろうと思ったら、樹木の中のようです。中に入りたいのですが、ここも金網で劇場全体を頑丈の囲ってあるので、あきらめました。普通はどこかに突破口のようなものができているのですが、ありませんでした。ほんとうにもう草葉の陰から劇場内を見るしかありませんでした。
看板のあるところから奥を見てみました。
やっとこすっとこ劇場のようなものが見えるだけでしたが、見えないよりは見えたほうがいいので、まぁ、あきらめて、遠目から撮影しました。
この劇場は紀元前4世紀後半にできて、紀元前2世紀後半まで使用されていました。
紀元前336年にこの劇場で、フィリッポス2世とオリュンピアス妃の娘クレオパトラ王女がイピロス(エペイロス)王アレクサンドロス1世と結婚式を挙げ、祝宴をこの場所で行いました。
その結婚式の日に、フィリッポス2世はこの劇場でパウサニアスという男に暗殺されたのです。ここがまさにその現場であります!
クレオパトラ王女は後にイピロス女王とも呼ばれるようになります。彼女は母のオリュンピアスの実家に嫁いだのでした。そしてまた彼女は弟のアレクサンドロス大王よりもひとつ年上でした。夫の名前がアレクサンドロス、弟の名前もアレクサンドロスです。同じ名前でした。
フィリッポス2世は一夫多妻主義者で、7人の妻がありました。
1.アウダタ イリリュア王女 マケドニア女王の称号を持つ。
マケドニア女王の名前エウデュリケが与えられている。
娘・キュナネ王女(マケドニア王アミュンタス4世王妃)
孫娘エウデュリケはフィリッポス3世王妃・マケドニア女王
軍を率いて、オリュンピアスと戦ったけなげお姫様
2.フィラ エリミアの王族 子女なし
3.ニキシポリス テッサリアの王族
娘・テサロニケ王女 第2子出産のときに死亡。
ヴェルギナの王族大墳墓内のペルセポネの墳墓に埋葬された。
4.フィリネ 愛人 踊り子 息子・フィリッポス3世
5.オリュンピアス イピロス王女 後に離婚
娘・クレオパトラ王女(イピロス女王) 息子・アレクサンドロス大王
6.メダ(オデッサのメダ) トラキアの王女 子女なし
フィリッポス2世の死後、自殺。
ヴェルギナの王族の大墳墓内に埋葬される。
7.クレパトラ・エウデュリケ マケドニアのアッタロス将軍の娘
クレオパトラという名前だが、
マケドニア女王エウデュリケの名が与えられた。
娘・エウロパ 息子・カラノス
妻同士はライバルというか敵、夫も敵。信じられるのは血の引いた自分の息子と娘と実家。妻の全員は実家は大切にしているようです。妻たちは焼きもちを焼くなどというロマンチックなものはなく、覇権を競って、武装し、軍も指揮する力がなければ、マケドニアの女王、王女、ではないのかもしれません。特に子供を産んだ妃たちは大変な状況を切り抜けて勝たなければなりません。勝ちぬくのが宿命なのかもしれません。高貴のトップはアマゾン軍のようなお方ばかりなのでした。
オリュンピアス妃は兵を挙げ、フィリッポス3世(夫の別妻の息子)の妃エウデュリケ(マケドニア女王・夫の孫娘)の軍と戦いました。オリュンピアスは孫アレクサンドロ4世のために討ち果たしました。
その後オリュンピアスとは嫁ロクサネ(前マケドニア女王・大王妃・4世母)とは血筋のために共闘しましたが、二人の戦う妃たちはカッサンドロスというマケドニア将軍に打ち倒されます。このあたりは詳しくないのですみません。
カッサンドロスは後にマケドニア王になり、テサロニケ(フィリッポス2世娘)を妃としました。ここにヘラクレスの血を引く男系は絶えてしまいます。
そんなことを考えながらアイガイの劇場を見学しました。
来る新しい年もますますのご活躍を期待しています。
どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。
ありがとうございました。
来年もあちこち回られるんでしょうね。
体力勝負のところもありますので、無理せずに…
来年もよろしくお願いいたします。
良いお年を~~
わがやのATMにがんばり具合で、わたくしの人生は決まりです。