サモトラケの柱廊 |
Σαμοθράκη-Στοά
Samothrace-Stoa
トラキア地方エヴロス県サモトラキ島パレオポリ
Νομός Έβρου Δήμος Σαμοθράκης ,Παλαιάπολη
Prefecture of Evros,Municipality of Samothrace ,Palaeopoli
紀元前3世紀の柱廊ができました。西の丘の上にあります。
柱廊の規模は104メートル幅13.40メートルあります。石灰石と大理石でできていました。柱廊の東にたくさんの廃材ブロックがきれいに並べられていました。1500くらいのブロックがあるという話ですが、古いサモトラケの考古学ガイドなのでほかにも新しく並べられたかもしれません。イオニア式円柱が16本並んでいたそうです。
柱廊の北側にこのようなモニュメントなのか台座なのか分かりませんがありました。
紀元前200年にマケドニア王フィリッポス5世によって奉納された記念碑なの建造物があったようですが、それがこれなのかどうなのかは分かりません。
ニケにのモニュメントの方から柱廊を撮影するとこのような感じになります。
柱廊の廃材ブロックのところからサオス(フェンガリ)山の一部が見えます。
サオス山の続きになるこの岩山には古代の都市の要塞がありました。あのようなところまで登る人がいるのかな?と思いました。なんかもう時間があれば登ってもいいなぁと思いました。
柱廊の西側の風景
柱廊は高台にあるので上から見ると、遺跡の様子がわかります。
下のところを直に歩きましたが、まったく全体がつかめませんでした。
不明な部屋が下のほうにあって、食堂の跡も確認できました。
不明な部屋、何に使用したか分からない部屋の解明はされていません。
食堂の先にもさらに、ミレトスの女性が寄贈した食堂があリ、ほかにも食堂があるようですが、見分けがつきませんでした。
柱廊の南側
ごちゃごちゃしてわかりにくいので、写真維持化に線を入れました。
遺跡地図にあった1.2.3のヘレニズム時代後半の不明の建築物については本当に区切りすら分かりませんでした。ネオリオンと祈願奉納品の展示室とヘレニズム時代前半の不明の建築物の場所は、柱廊からから
ほかの遺跡についても暇なときに書くとして、なんかもう、サモトラケ島は遺跡がすごい!
この偉大なる神々の聖域の建物群には、古代人の家がありませんでした。古代都市はさらに東に行くとあるようですが、そちらには行きませんでした。もうそこは険しくてなっていました。誰も住まないとそして行かないとッ道の跡がなくなってしまうのでした。
お手間をかけて申し訳ありませんが
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