エヴロスのディディモティホの風景 |
ディディモティホ(Διδυμότειχο/Didymoteicho/Didymotiho)という地名は
ディディモ(δίδυμο)には双子、ティホ(τοίχο)には壁というギリシャ語の意味があります。
この地は紀元前4世紀頃にはじまっているとユーチューブの町案内で見ましたけど、あんまり興味がわきません。それはローマ時代の古代都市プロティノポリが整備されていなくてがっかりした事が原因であります。
ディディモティホには古くはギリシャ人が住み、アルメニア人、ユダヤ人、トルコ人などがやってきて住むようになりました。そしてギリシャ正教のでっかい教会とイスラム教のでっかいモスクが印象的で張り合うように建っていました。ほかにアルメニア正教の美しい教会などがありました。ユダヤ教の教会もあるのかな?
こちらの住民の皆さん、みんな穏やかにに暮らしています、というか、のんびりしていて、物事はすべて明日に解決という感じ、明日になれば、また明日に解決のような、のんきさがありました。住民はほぼギリシャ人ですが、その次にトルコ人が住んでいます。みんな良い人たちみたい。
ディディモティホは美しい伝統の町かもしれませんが、なんとなく好きになれません。
このディディモティホは町おこしをはじめたようですが、
「まずはじめに古代ローマの都市プロティノポリの草刈してから言えよ!」
などとわたくしは思いましてござりまするぅ。
そして愛想の良いホテルがない!まぁ、ホテルはあるけれども、フロントの態度とか、なんか好きになれなくて、無愛想な感じがホテルの建物全体を包んでいました。警察官の宿舎と化していたので、満員御礼でうれしいのではないかと思いますが、なんか不思議!
わたくしたち探検隊はエヴロスを北上してオレスティアダの町のエレクトラホテルに泊まりました。朝食はなかったのですが、近くにグッディーズというファーストフードがあって便利です。オレスティアダの写真撮影を忘れました。オレスティアダはミケーネ王アガメムノンと王妃クリュタイメストラの息子が立ち寄って作った町なので、その地名がついています。オレスティアダのホテルの人たちは満員状態でもにっこりという当たり前の態度でした。ああ、オレスティアダの写真撮影ができなくて残念!
下の写真はディディモティホのエリスロポタモ川にかかっている橋です。
エリスロポタモスというのは赤い川の意味があって、ディディモティホの町に入るにはこの橋を渡らなければなりません。
橋を渡るとその先に巨大なモスクが見えます。少し離れて巨大なギリシャ正教の教会があるのですが、二つを一緒に撮影できなくて残念です。どなたか、わたくしをちょっと上から吊り上げてくれれば、きれいな写真が撮れると思いますが。
エリスロポタモス、赤い川は、川底に赤土があって、ちょっと赤くにごっているのであります。この川はエヴロス(ヘヴロス)川の支流のひとつであります。エブロス川は見る事が出来ませんでしたが、その支流を見る事ができました。
川の両端に樹木があって美しい風景であります。ときどき馬がうろうろしていたのですが、撮影できませんでした。
ディディモティホの町をぐるりと回って反対側の橋のほうに来て見ました。
岩山の上のほうに人口の洞窟のようなものがたくさんありますが、あれは何でしょうかねぇ?何も資料がないので分かりません。
その美しいディディモティホの川原からブヒブヒうるさくおしゃべりしている豚さんを見つけてびっくりしました。牛、羊、山羊の放牧というのは知っていますけど、こういうの豚の放牧?ってあるんですかねぇ。
ここからはエヴロスの豚さんたちの写真です。
豚さんたちも楽しく人生やっているんですね。おーい、豚さ~~ん!
こんなのびのびしている豚さんたちを見たのは初めてでした。
なんかもう川岸をニッコニッコ笑って歩いておるんですわ!すごい!
いやぁもう心を奪われてしまいました。
エヴロスの豚さんたちとお別れするのが残念でありました。
さて豚さんたちと別れを惜しんで、オレスティアダの町のエレクトラ・ホテル(55ユーロ)に滞在して、翌日再びアレクサンドルポリへ南下しながらエヴロス県の森を楽しみます。それからアレクサンドルポリのパノラマ・ホテルに滞在して、サモトラケ島へ移動する予定でいます。次はサモトラケ島でお会いしましょう!
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