2012年 02月 09日
イストミアの初期競技場とパライモン神殿 |
Πρώιμο Στάδιο και Παλαιμόνιον στα Ίσθμια
Eary Stadium and Palaimonion at Isthmia
コリンティア県ルトラキ-アイイテオドリ共同自治体イストミア
Νομός Κορινθίας,Δήμος Λουτρακίου - Αγίων Θεοδώρων,Ίσθμια
Corinthia Prefecture,Municipality of Loutraki-Agioi Theodoroi,Isthmia
初期競技場とパライモン神殿
イストミアの初期競技場はおそらくアルカイック時代から古典時代まで使用され、その後の競技場は南東に建設されヘレニズム時代からローマ時代まで使用されていました。初期の競技場はその後パライモン神殿建設されています。ローマ時代になってパライモン神殿は5か所も建設されています。遺跡の看板にそのように書かれていました。アルカイック時代からヘレニズム時代にもパライモン神殿はあったのでしょうが、よく見てなかったので、また行かないとなぁ、、そう思っています。
この写真は空から撮影されものでピンク色の線のところが初期競技場です。その中に紫色の線で囲ってあるところが、パライモン神殿の跡です。このパライモン神殿はローマ時代のアントニウス皇帝のときに建てられた第5番目のものです。

遺跡看板の図を撮影したものです。大きな茶色線の丸の円柱マークの長方形のところはポセイドン神殿です。

上の図の写真と同じ色分けでパライモン神殿が5カ所あるのがわかります。

初期の競技場全体はこのような姿になっています。

この第5番目のパライモン神殿は西暦161年から169年にできたものです。
四角い土台の上に円形の建物が乗っていて、その中に、イルカに乗ったパライモンの像が絵安置されていました。アントニウスの時代ということです。

全体はこのようなかんじになっています。中央の通路なのか、水路なのか、何であるのかわかりませんが、不思議な感じです。
遠くに見える杉の木が並んでいるあたりにヘレニズム時代からローマ時代まで使用された競技場の跡があります。

5番目の神殿はこのような感じであったと看板にありました。円形で中央にメリケルテスがイルカに乗って彫像が置かれていました。人間メリケルテスは神となってその名をパライモンと改めっます。海神ポセイドンのそばにあって、同じく海の神になり、とくに水夫の守護をする神とされました。

これも看板の地図を見ると西暦50年のネロの時代のパライモン神殿です。各ローマ皇帝が神殿を奉納したのでしょうかねぇ、、そのことについては何も資料がないので分かりませんが、イストミア大祭というスポーツの祭典は格式高いもので、ここにローマ人が参加するようになって、奉納されたのでしょう。

初期の競技場から離れたところのポセイドン神殿の東側前方にあたりに
西暦120年から138年頃のハドリアヌス時代のパライモン神殿がありました。

このハドリアヌス時代のパライモン神殿には地面にテラコッタの水管が残っていました。

このほかにも二つパライモン神殿があるようですが、その場所を見つけることが出来ませんでした。
初期競技場とパライモン神殿の全体写真
博物館のテラスから撮影

遺跡の外のフェンスから撮影

パライモン神殿から博物館を撮影
ここに立てある棒の並んでいるところは駆け足の出発点だったところでしょうかね、、。

ヘレニズム時代からローマ時代の競技場
新しい競技場はアスファルト道路の向こうにあります。遠くから見てこのような杉のような木が並んでいる場所はここだけなので、すぐ分かると思います。

草木に覆われてはいますが、なんとなく競技場のような気配が残っていました。目を瞑ると古代のイストミア大祭の歓声が聞こえてきそうです。

一富士二鷹三茄子
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今も昔も同じようなことをしていたのかと思うと面白いです^^
そう思ってみると、人々が競技している姿が目に浮かぶようだから不思議^^
そう思ってみると、人々が競技している姿が目に浮かぶようだから不思議^^
yuu-kakei2さん、そうですね。
たぶん不遇の王妃イノー(→レフコティア女神)と王子メリケルテス(→パライモン神)の
死をいたむ人々によって神格化された人々もいたのかもしれません。
たぶん不遇の王妃イノー(→レフコティア女神)と王子メリケルテス(→パライモン神)の
死をいたむ人々によって神格化された人々もいたのかもしれません。

