ナクソスのアポロン神殿 |
Ναός του Απολλώνα στην Νάξο
Temple of Apollo in Naxos
ナクソス島ーナクソス市ホラーパラティア小島
Νάξος -Χώρα της Νάξου- Nησάκι Παλάτια
Νaxos Island-Naxos City Hora-Palatia Islet
パラティアと呼ばれる小島
ナクソス市ホーラの先にパラティア(Παλάτια /Palatia)と呼ばれる小島があります。
パラティアというのはパラティ(Παλάτι) の部分の宮殿という意味があります。
その島にアポロン神殿遺跡があり、残っているのは四角い門のようなものと、
建築物の基礎部分が残っていました。
昔から人々はこのパラティア島をアリアドネの宮殿(パラティ)と呼んでいたのでした。
アリアドネといえばクレタ島のミノス王の娘で、
アテネ王子テーセウスに一目ぼれして閉まった女性です。
父ミノスを裏切って、テーセウスのミノタウロス退治を助けてしまいました。
そしてテーセウスと共にクレタ島を脱出し、途中にこのナクソス島に漂流します。
ところがテーセウスは眠っているアリアドネがに薄情にも置き去りにしてしまいます。
その後、この地のニンフたちに育てられていたディオニュソス酒神がアリアドネを妃としました。
そのときに酒神はアリアドネの冠の贈り物をしました。これが星となって冠座となりました。
この神話は古代の詩人や劇作家によって語られており、話の筋は多少異なっていますが、
テーセウスが置き去りにして、ディオニュソス酒神が妃としたことは統一されています。
神話というのは詩人や劇作家によって創作されてそれぞれの芸術になるので、
いろいろな結末の分かれていますが、、、。
みなさんが詩人や劇作家なら、どのような結末を選ぶのでしょうか?
さて、、、このパラティア小島の遺跡はディオニュソス神殿ではなくて、
アポロン神殿なのが、なんとなく残念です。
(ディオニュソス神殿はナクソス市ホーラの郊外の畑の中にあります。)
このパラティア島はナクソス島と一本道でつながっているので、歩いていけます。
道の両端で海水浴している人たちがたくさんいました。
海水は美しいし、古代遺跡とホーラのカストロの風景もすばらしいし、
外国からの観光客は「こんなところで泳げるなんて幸せ」と思うでしょう。
アポロン神殿のポルタ-ラ
このパラティア小島にあるアポロン神殿の四角い門というかアーチは
ポルターラ(ギリシャ文字Πορτάρα/ラテン文字Portara)と呼ばれます。
ポルタ(πόρτα)はギリシャ語で、戸、ドア、扉のことをいいます。
ポルターラは大きな戸、偉大なる戸、の意味があります。
太陽の大戸、ナクソスの大戸、文献やらネットの中でいろいろに表現されています。
ポルターラの高さは約6メートル、幅は3.5メートルです。
アポロン神殿の建設
紀元前6世紀(530年)頃、ナクソスのタイラント(僭主)リグダミスが統治していまいた。
リグダミスによって、このアポロン神殿の着工されましたが、途中で彼の圧制が崩壊し、
神殿は柱と壁を残して、未完のままとなりました。
は野外の神殿のまま、ずっと古代ナクソスの人々は参拝していました。
中世(西暦5世紀)、このアポロン神殿の大理石の廃材はホーラの城あるいは
キリスト教会の材料として使用されました。
神殿の規模
フォティ二・ザフィロプルーというギリシャ人考古学者の書いた
NAXOS Monument and Museumという本を参考によると、
このアポロン神殿はイオニア式で、その規模は神殿は規模は長さ50メートル、
幅28メートルあり、円柱が神殿の内室に6本ずつ2列にありました。
しかしネットでは長さ59メートルと書いてあるサイトが多いのです。
どうなんだろうなぁ、事実は、、、と思っているところです。
ナクソスのリュグダミス(リグダミス)
リュグダミス(Λύγδαμις/Lygdamis)の生没はわかりませんが、
紀元前6世紀頃の人物で、歴史の中の記録は紀元前524年で終わっています。
ヘロドトスの「歴史」のクレイオの巻の61と64に少しだけリュグダミスのことが出てきます。
ナクソス島を支配下においたアテナイの僭主ペイシストラトス(紀元前6世紀頃~紀元前527年)がリュグダミスにナクソスとその周辺の島の統治させました。
ナクソスの僭主リュグダミスはペイシストラトスのために軍資金、兵隊を送るなどして、
熱烈にペイシストラトスを援助していました。なかなか義理がたく、忠誠心ある男ですね。
ペイシストラトスはナクソス島の北に位置するディロス島(アポロンとアルテミスの生誕地)の都市の住民に次のように命じました。
ディロス島で、生まれること、死ぬこと、を禁ずる。
この地にあった墓地はすべて掘り起こし、他へ移すべし。
リュグダミスはナクソス周辺にあったディロス島も統治管理していたので、
それを粛々と行ったようです。
その後、このディロス島の墓地は大部分は対岸のリニア島に移されました。
ディロス島の建物や彫像類の大理石はナクソス島、パロス島のものが使用されていました。
それでこの2島も経済的に大変豊かだったのだろうと思われます。
キクラデス諸島に位置するナクソス島の周辺にはパロス、ディロス、などがあって、
これらをリュグダミスが統治管理していました。
この島々の中での最も大きく、緑豊かで、農産物が良くとれる場所はナクソスです。
大理石が採れる山があちらこちらにあります。
リュグダミスは同盟国のサモス島の僭主ポリュクラテスがミレトスと
ミッティリーニ(レスボス〉と紛争を起こしたときも、熱烈に支援しました。
紀元前530年頃に、リュグダミスはアポロン神殿の建設を開始しました。
紀元前524年にスパルタの軍隊介入により、リュグダミスの統治は終了したのですが、
このことについては手元にさらに詳しい資料がないのではわかりません。
太陽のポルタ-ラ
このポルタ-ラ(大戸)はリュグダミスの統治していた頃からここにあります。
アポロン神殿の日没が美しいです。
ギリシャ神話では太陽の神はイリオスといい、実際に太陽を動かす神様です。
アポロン神はイリオス神の上に立ち、天と人の心の光をもたらします。
アポロン神は学問芸術スポーツを守護し、人の心に光をあてる神なのであります。
この神殿はディロス島を向いて建てられているということです。
リュグダミスがこのアポロン神殿を建てた時代には、
アテナイのペイシストラトスはアクロポリスの下に壮大なゼウス神殿を着工しました。
これも未完のまま現在まで残っています。
そしてサモス島のポリュクラテスも壮大なヘラ神殿を建設しました。
アポロン神殿の壁や円柱のめぼしいものはすべて中世のお城に利用されましたが、
このポルターラはそのまま残されました。
パラティア島のポルタ-ラの前から撮影するとこのような写真が取れます。
小高い丘の上にお城があって、下のほうに人々の家、そして教会などの建物が広がっています。
お手間をかけて申し訳ありませんが
投票よろしくお願いします。
にほんブログ村
アポロン神殿、50メートルか59メートルかは定かじゃないとしても、
写真でみせていただくだけでも風景と比較して大きさが伝わってきます。
実際に目の前に立つと、その大きさに圧倒されそうですね。
それにしても、ギリシャには蒼い空と白の建物が本当によく似合います。
眺めていると気分が爽やかになりますね♪
今日も素敵な風景をありがとうございます。
滅びて、遺跡となっていることを考えると、私たちのいまの社会が
滅びることもなんの不思議もないですね。生起して、しばらく維持
して、そして滅びて、また何千年かして、別のものが生起して.....
というふうに、ぐるぐる輪廻流転しているのでしょうか。流転、という
ことばはギリシャで起こったではなかったかしら?
また行きたいなぁと思っています。
船で降りるとすぐあります。ホテルはよくわかりませんが、ホテルや民宿の経営者たちが
ルームとかドマーティオ(部屋)とか言って客引きしています。
彼らは経営しているホテルと部屋(シャワーとトイレつき)の写真を持っているので、それを見て決める人もいます。
とてもおおらかで、ゆったりしていました。
よそに振り回される時代、いろいろあります。
しかし長い歴史の中で、そこに住んでいる人たちそこにずっと住み、
そしてどこからか来た人は去っていくように思います。
あるいは去らずにその土地の人になった人もいます。
思うに、ナクソスは美しいところですが、
ここを離れられない人はやはりそこの人だからだと思います。
ディオニュソス神の妃となり女神され他と思うのです。
ディオニュソス神はお酒、お祭り、お芝居の神なので、
一緒にいたら楽しくてしょうがないと思います。
ディオニュソス神はアポロン神よりもてるし、
自分を支持する人はとても大切にします。