ミケーネ時代のカドモス宮殿 テーバイ |
Μυκηναϊκό Ανάκτορο του Κάδμου
Mycenaean Palace of Kadmos
ヴィオティア(ボイオティア)県ティバ(スィバ)共同自治体
Νομός Βοιωτίας, Δήμος Θήβας,
Viotia(Boeotia)Prefecture, Thiva Municipality,
紀元前14世紀から紀元前13世紀のもので、
カドモス宮殿(Ανάκτορο του Κάδμου/Palace of Kadmos)はほかに
現在はカドミオン(Καδμείον/Kadmeion)と呼ばれていますが、
日本語文献ではカドメイオンと記述されています。
町中の下のような看板が出ていました。
カドモスの宮殿といわれるのはカドモスという神話上の人物から来ています。
カドモスはフェニキアの王子で、妹のエウロパ(ヨーロッパの語源)を探す旅に出ました。
エウロパは牡牛に変身したゼウスの背中に乗って連れ去られたしまいました。
そしてたどり着いたのがテーバイで、ここで王国を建設したということです。
詳細はこちらをどうぞ →→ カドモス
遺跡から壁画、装飾品、線文字B( Linear script B)のついた陶器類などが発見され、
地元の閉館中の博物館に展示されています。
宮殿の一部しか残っていませんが、ここに兵器庫、そして宝庫が残っていたようです。。
そこからの出土品もけっこうあり、壁画などの重要なものは
この地のティヴァ考古学博物館にあります。
その他の陶器や人形類の数点はアテネ国立考古学博物館とルーブル博物館にもあるようです。
この遺跡博物館の近くにあり道路わきにあって、小さなものです。
遺跡の中に二つの配水菅のようなものが見えました。水周りの跡が見えます。
ティバ(古代テーバイ)にはたくさんの遺跡があるようですが、
アテネのような、エピダヴロスのような眼を見張るものはありません。
しかし神話上歴史上の重要な場所であることは確かです。
日本の方でここへ行きたい人はたくさんおられるでしょう。
しかし、例によって、旅行者ではない外国人の男の人ばかりが歩いていました。
農業のお手伝いをしている人たちのようです。何も事件は起きてはいませんが、
他国の土地に見知らぬ外国人、、念には念を入れましょう。
日曜日にギリシャ人が外を歩いていないところで何かあったら大変です。
なんでどうしてこんなにいるのだろうと思いました。
たぶん一人が住むところがあると、それを頼って仕事もないのに来てしまうのかなぁ。
一度雇うと、友だちにも、兄弟にも仕事を!そうなるのかもしれません。
古代テーバイの遺跡
1. 古代テーバイのカヴィリ神域(カヴィリオ)
2. 古代テーバイのアポロン・イスメニオス神域
3. ディルケの泉
4. ミケーネ時代のカドモス宮殿
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